2016年12月27日火曜日

2016/12/27 秘密基地 その1


                                       

前回から早くも1ヶ月以上が過ぎてしまった。
本来ならば1日1膳、、ではなく1日1本は更新したいのだけれど。
今は月1だ。
ただバタバタするのも12月いっぱいで、
例年1月からは恐ろしく暇な日々が到来する。
休日は休日で嬉しいけれど、それが4連休辺りから
不安になる。(こんな状態で今年を乗り越えられるのかどうかが)
その不安の分だけ、ブログの更新が増えるに違い無い。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

さて、暇な1月からぼくが始めるのが確定申告の準備だ。
・・これだけ早くから始めるのに仕上がりがギリギリになるのだが謎だ・・
確定申告は「稼ぎ」と「費用」を並べて、いくら利益が出たかを申告する
ものだけれど、その費用の中の1つ「国民年金」にまたも影が落ちている。

それは「高齢者」の考え方によるもので、検索してみると
国連(国連!?て何だろう)では60歳以上を高齢者としていて、
WHO(国際保健機構)では65歳以上を高齢者としている。

さて、では日本ではどうなのか。
調べてみるとこれが複雑で、
1、年金受給は65歳から。
2、道路交通法では70歳から。
3、老人保健法では75歳から。
それぞれ違う。

今この「高齢者」の定義に見直しがかかっている。
見直して「70歳」からが高齢者という考え方が出てきているようだ。
もしもこれが決まるようだと、また年金の支給年齢の引き上げが話題に
なるだろう。それからまた高齢者の様々なサービスにも関わってくるだろう。

この高齢者定義の見直しに関わる提案は、
「今の老人は若々しい」
「以前に比べて5〜10歳は若い」
と言った考えからきているそうだ。
そして「生涯現役」と言っている。

ただ、それは人それぞれじゃないか、とぼくは思う。
仕事で写真を撮っているけれど、機材は重いよ。
60歳を超えて今と同じような撮影スタイルでいるとは、
考えられない。

出来ることなら「国民年金」は一度廃止して、やり直すべきだと思う。
今、支払っている側のぼくからしたら、この支払額は重い。
にもかかわらず65歳からのもらう額は小さい。
だからさらに「国民年金基金」もなんて冗談じゃないしね。

もしも70歳から支給なんてことになったら、
それこそぼくは支給年齢の時にはくたばっていると思う。

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さて、トップに貼り付けた鳥居の写真は前回からのもので千葉県香取市で撮った。
ここは鳥居だけがあって神社が見当たらず不思議だったのだけれど、
検索したら一発解決。わかりました。
これはここから2kmほど先にある「香取神宮」の鳥居で、
利根川からの参拝客のための入り口だったのだそうだ。
それだけ以前は道路ではなく、川を小舟での移動が主流だったのだろう。

検索してみると「香取神宮」の歴史は古く、また茨城の鹿島神宮と鹿島神宮と一対の
関係にあるという。朝廷からの崇敬が深く、それは祭神のフツヌシ(経津主)が軍神
であったからだそうだ。
しかし、天照大神(アマテラス)や須佐能(スサノウ)ってのは聞くけれど、
フツヌシ(経津主)ってのは初めて聞いた。

まさかそんな由緒ある神社が(2kmほど先に)あるとは知らず、
せっかくならお参りしたかった。

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秘密基地について(その1)

結論から言ってしまえば秘密基地は誰にでも必要だ。
と、ぼくは思う。
ものを作っている人にとってはとくにそうだろう。
ちょっと何かに集中したい時、自分だけの場所があるのはとても有効だから。

死んでしまった野坂昭如さんの小説に「色事師」があって、
ぼくは随分前に読んだ。
この中では強い女性に追いやられた男性たちが登場する。
最初彼らはノイローゼ気味なのだけれど、カンパしあって部屋を借り、
そこを自分たちの基地としてバカバカしくも楽しい‘’時間‘’を取り戻す。
そんなお話だった。

そんな風に仲間もいれば最高だけれど、例え1人であったとしても、
自分だけの空間があるのは重宝に違い無い。

ぼくが最初に秘密基地に憧れたのは、ヒーロー物のテレビ番組で
確か「摩天楼」と言うのを見てからだった。
そのテレビドラマの中では子供探偵たちが地下に秘密基地を持っていて、
潜水艦ばりの潜望鏡で時々外の様子を伺うのだった。

そんな秘密基地に憧れて、小3の9歳くらいから小5の11歳くらいまで、
ぼくは幼馴染や同級生たちと基地作りに励んだのだった。

続きはまた。

2016年11月26日土曜日

2016/11/25 鳥取砂丘、ひとり旅(その5)



写真は以前、旅行で千葉県の銚子へ向かう途中に見つけた鳥居。
この写真は土手に上がる階段から見上げて撮っているので写っていないけれど、
この鳥居は川に面して建てられている。
不思議なのは土手を上がるとそこには川があるだけで、肝心の社が見当たらないことだ。
その名を「浜鳥居」と言い、やはり側に建てられている石灯籠は文化財に指定されている
そうだが、なぜお社がないのか、その説明は無い。
それでもこの風景はユニークなので、次回のブログでもここの写真を載せるつもり。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

ところで今、「国民年金のカット法案」がちょいちょい報道されている。
この法案が通った場合、一月あたり3300円の減額が見込まれるようだ。
ただでさえぼく個人としては少ない(月々6万、それも65歳になってから)
支給額がさらに目減りするわけだ。
これは、、どうなんだろう、、。
この制度を取りやめて一旦これまで支払った分の返金に応じて欲しいと
マジで思う。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

さて、鳥取砂丘、ひとり旅の続きです。
多分これで完結します。

雨上がりの夜、一人ぼくは霧に包まれた鳥取砂丘へ出かけた。
砂丘の小山を越えて海へ出た。
するとその夜の海に、小舟が停泊している。
その小舟から聞こえてきた声は、朝鮮語だった。
一人、小舟から下船してこちらへ向かってくるようだ。
怖い。
ぼくは元来た方へ引き返した。
そして、ラクダのこぶのような小山に上がり振り返る。
振り切ったのだろうか、それとも思い違いだったのか、
追ってはいない。
と、隣の小山の上に何かが動いた。

それは、犬だった。
それも、大きい。
多分(当然?)飼い犬ではない。
野犬だろうか。
それが小山の斜面を挟んで反対側の小山に立ち、牙を向いている。
、、正確には、、そこまでは見えていないけれど、、多分牙を向いている。
と言うのも、うなり声と共にぼくに向かって吠え立てたから。
そして次の瞬間には斜面を下りこちらの小山へ向かって来た。

さっきまでの人と今度の犬。
ぼくはとりあえず海でも犬のいる小山でもない方向へ向かって
出来る限り早く移動した。なにしろ砂丘は走りづらい、、それは犬も同じだろうか?

この時ばかりはカメラの三脚に感謝した。
もしもこのデカい犬と対峙することになってしまったら、
こいつで応戦できるから。

ただし、ぼくは柴犬を飼っていたけれど、そんな中型犬でも敏捷で
強い。それが大きな犬となると、どうだろう。追い払えるだろうか。
それから「マスターキートン」だ。
以前に読んだこの漫画では確か、犬は地上最強と書かれていた。
そんなことを思いながらぼくは必死で逃げた。

そして今晩何度目か、振り返るとその犬は後ろの小山から
こちらを見下ろしていた。
さっきより距離が開いているようだ。
少し速度を落としつつ、ぼくはとにかく道路の方へ向かった。

ようやく道路へ出る。
早く車の中へ逃げ込みたかった。

ただ今度は車が見つからない。
夢中で走ってきたのでた場所が違い、
やっと見つけた駐車場には車がない。別の駐車場なのだ。
暗くて、同じような景色で、方向感覚が定まらない。
と、そこへ一台の車が走ってきた。
よほどぼくはその車を呼び止めようか、と思った。
でも街灯で照らされたそのドライバーは女性で、
こちらを見てはいたようだけれど、車を止めることには躊躇いがあるように
ぼくは感じて見送った。

もう一つ駐車場を見つけて、そこに自分の車を見つけた。
中古のシビック。
とにかくすぐに車を出した。

とにかく誰かと話したくて、宿の駐車場に戻ると、
ぼくは大学の後輩で、鳥取出身の友達に電話して事の顛末を伝へた。
深夜の電話で最初彼は迷惑そうだったけれど、
ぼくの話を聞くと笑い出して、「夜、砂丘へ行っちゃあいけないんだ」
と一言アドバイスをくれた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

翌日、早朝から、ぼくはまた砂丘へ行った。

眠かった。でも日中の砂丘は健全だ。

ホームズばりに地面を見ると、そこには犬の足跡がはっきり残っていた。
足跡も、やはり大きい。

それから海へ向かった。

ラクダの小山から海を望む。

、、やっぱりここに船があるのは奇妙だと思った。
船が近づく場所ではない、、と感じた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

小舟が密漁船なのか、はたまた拉致に来たものなのか、今もわからない。

何故かずっとそれを考えなかったのだけれど、警察へ届けるべきだった
のかも知れない。

ただ、実際に自分が遭遇したことなのに、その瞬間でさへ恐怖心はあるのに
なんだかぼんやりとした印象で、実感が少し希薄だった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

鳥取砂丘。

その日、寝不足と驚きのためにぼくは疲れ切っていた。

海へ背を向け、帰ることにした。

肝心の写真の方は、ほとんど収穫がなかった。

観光用のラクダが2頭いた。
見るとラクダを前にして、自分と同い年くらいの女が2人はしゃいでいる。
ラクダの隣に立ってお互い写真を撮り合い、そして何とか2人で一緒に撮れないか
と言ったところでぼくに気がついたのだった。
「写真撮ってください」
渡されたカメラでラクダを中心に2人を撮る。
と、ぼくのカメラを見つつ「すごいカメラだね」、「1人なの?」
と聞かれた。
2人とも、可愛かった。
ぼくは1人で、彼女もいなかった。
この鳥取の旅にしたって彼女とでも来たかったのだ。
ただ、ぼくはとても疲れていて、とても、眠かった。
だからまだ何か話しかけようとしていた2人に、
「そうだよ」と一言返事をして、歩き出した。

ただただ、眠かった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

車の中で仮眠を取り、それから大阪への帰路に着いた。

車の中で2人のことを何度も思い出した。
その度に降り続いた雨も、小舟の男たちも、野犬も、最低だと思い、
何より自分自身と、卒業間近でうだつの上がらなかったこの4年間を
最低だと思った。

2016年10月20日木曜日

2016/10/20 鳥取砂丘、ひとり旅(その4)




写真は前回と同様、暇を持て余して作った合成写真。
場所は新宿。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

半年ほど前からInstagramを始めました。
マメに更新しているので、是非見に来てください。
user nameは@isida_sekidenです。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

ところで色々な色の中で何色が好きですか?
以前に聞いたところでは色の性格判断は男女で異なるとか。
思春期の頃には自分の有り余る力を抑制する(色の力で)ため、
黒を好む傾向があるとその時聞いたのだけれど、
確かにぼくはそうだった。

遡って小学生の頃、赤が好きだった。
赤はエネルギッシュで、目立つから。

今年、プロ野球では広島が活躍している。
そのカープの帽子をぼくは小学生の2〜3年生の頃好きで被っていた。
広島出身でも在住でもない子供が赤いカープ帽を被っていると目立つ。
ある日従兄弟と商店街の大道芸を見ていたら、その芸人から
「そこのカープ帽の子前に来て」と壇上に呼ばれて、ポーズを頼まれた。
それは、片足立ちで両腕を上に上げて、さらに大きく口を開くポーズだった。
そうして大道芸人はチョキチョキ折り紙を切り始めて、
切り終えて折り紙を開くと、そこには後ろ足で立ちあがる馬の絵柄が
出来上がっていたのだった。

そんなこともあって、この帽子なんだか目立つな、と思ってはいたのだけれど、
決定的だったのが同級生から「広島が好きなの?」と聞かれて、なんで?と
聞き返したら、「それ、野球帽だよ。知らなかったの?」と言われたことだった。
ぼくは単純に赤が好きだっただけで、その「C」がカープのロゴと知らなかったんだ。

それ以降、野球に興味のなかったぼくは、その帽子を被らなくなって
しまったのだけれど、カープ、今年の頂上決戦頑張れ。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

さて、お話変わって、「鳥取砂丘、ひとり旅」の続きを。

もう17年ほど前、雨上がりの霞みがかった夜、
ぼくは一人、鳥取砂丘を歩いて海へ出た。
乳白色の霞に覆われた砂丘から望むと、黒い夜の海にぼんやり小舟が見えた。
その小舟は波に揺れてか弱く思えた。
つかの間その小船の灯りを見て、写真を撮ろうか、と考えたのだけれど、
次の瞬間ふと何かが怖くなってぼくは海に背を向けた。
すると小さな船の上で3人ばかりの男たちが身振り手振りで
何かやり取りを始めた。その時、聞こえてきた言葉は、異国の言葉・・
朝鮮語・・だった。

増す増す怖くなり、元来た道を戻る。
砂丘の起伏は大きいが、雨で砂は濡れていて、乾いている時よりは
歩きやすい。

道を戻り始めてすぐに、自分の怖がりすぎかと思って海を振り返ると小舟から
一人が下船を始めていた。

漁船だったらこんなところで下船しないよな?
何かの調査だろうか?
色々と考えながら、とにかく逃げた。

まるでラクダのコブのような小山を登り、コブの上からもう一度振り返る。
振り切ったのだろうか、もともと思い違いだったのだろうか、人気はない。
と、ぼくの登った小山とは別の、向かい側の小山の上で何かが動いた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

続きはまた次回。

2016年10月8日土曜日

2016/10/08 鳥取砂丘、ひとり旅(その3)



前回のブログから間が空いてしまった。
本当なら少なくとも週一で更新したいのだけれど、、。
その分?インスタグラムは1日1回は更新しているので、
ぜひお寄りください。ユーザーネームは@isida_sekidenです。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
 
写真は前回と同様、以前に暇を持て余していて作った合成写真。
合成・・お分かりだろうか・・? 家電が

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

家電が壊れて困る、とここに書いてきたけれど、また壊れた。
今年はこれまでに、炊飯器・扇風機・電気ポットが壊れたのだが、
9月末に仕事で使っている露出計が壊れた。
この露出計はぼくが18歳の時に買ったものなので、かれこれ20年経っている。
ただし、実際に使い始めたのは30歳になってからだったから、実質8年ほど。

これは学校の授業で必要になって買ったものだった。

学校は大阪・・というより奈良に差し掛かった山中にあり・・で、
心斎橋にある「カメラのナニワ」で買った。
同じ学生アパートの友人と2人で買いに行ったのだけれど、
店員に金額を確認して、いざ購入となったところで彼がふと黙り込み、
??ぼくが不思議に思っていたら、空気を読んだ店員がマケてくれたのだった。
その時、彼の大人なやり口に正直ぼくは嫉妬した。

そうして買った露出計だけれど、授業での使用はたったの2回くらいで、

ぼくにはその利用価値がわからず(だってカメラにはカメラ自身に
内部露出計があるのだ)以降ずっと使わずにいた。
その露出計が日の目を見たのはぼくが写真スタジオを独立してからのことで、
それが30歳の事だから実に12年越しの事だった。

この様に前から持っていたもので現役のものが結構あって、中でも多分一番長いのが

ズームレンズ。これは高校一年の15歳の頃に買ったものだから、ぼくがまだ、、
夜の校舎窓ガラス、、実に24年もので、、いつ壊れてしまうかが心配な一品。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆


さて、「鳥取砂丘、ひとり旅」、

前回は雨上がりの夜、砂丘へ行ったところまで書いた。
なのでその続きを。

その晩中古のシビックで一人砂丘へ向かった。

道路は濡れているけれど、雨は止んでいる。
ただし、霞みがかっている。
安宿から、砂丘までは20分弱。
道路に面した観光客用の駐車場に車を止める。
他に車は無い。
車から降りると、抱えてきたカメラと三脚を持って砂丘へ向かって歩き出した。
砂丘は、一面薄い霧に包まれているが、視界はそれほど悪く無い。
鳥取砂丘は海に面している。
海へ向かって夜の砂丘を歩く。
誰もいない。
広い。
濡れた砂は、乾いた砂とは踏み心地が違う。
しばらく歩いて、心の内に写真撮影は放棄した。
ただせっかく鳥取まで来て、肝心のこの砂丘へ来れなかった不満を
今歩くことで解消したかった。
ひたすら歩く。
砂の丘を一つ越えて、さらに一つ越える。
遠くから波の音が聞こえて来る。
海が近くなる。
さらにもう一つ、砂の丘を越えた時に海が現れた。と、
その霧の中に広がる黒い海にぼんやり小さな明かりが揺れている。
船の明かりだ。
当初、ぼくは漁をしているのだろう、と思った。
この霧に包まれた広い砂丘と広い海の中で、
その船はやたらと小さくて、か弱く思えた。

ただそんな風に、か弱く感じたのはものの15秒くらいだろう。

次の瞬間、ぼくは怖くなった。
異常を感じたからだ。
何か、変だ。
(ぼくは漁のことを知らないけれど)
こんな晩に漁船が単独で漁に出るものだろうか?
そもそもこの辺りで漁はするものなのか?
とその時、船から声が聞こえた。
それは異国の言葉だった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



続きはまた。

2016年9月5日月曜日

2016/09/05 鳥取砂丘、ひとり旅(その2)




写真はデジタル加工して作ったもの。
暇を持て余し、PCに向かっていて作った。
日の目を見ることの無いであろう写真、せめてここに載せることにした。
他にもう3〜4カット同じコンセプトで生まれた写真がある。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

前回、プリンターと炊飯器を買い替えた、とここに書いた。
家電の出費がかさむな、と思っていた矢先に今度は扇風機が壊れた。
プリンターは寿命では無くて、インクの販売を終えたことでの買い替え。
炊飯器は2年使用で壊れた。タイマーをセットしていたにもかかわらず、
翌朝米が炊けていなくて、その後数回試したのだけれど、エラーメッセージが出て
焚き上げが途中で止まってしまうのだ。それで、買い替え。
扇風機はと言うとこれは夏場のみの使用で今年で4年目だったが、
首の付け根が折れてうな垂れたようになってしまった。
これまた買い替えることになったのだけれど、その候補選びに若干悩んだのは、
以前から「羽根のない扇風機」が気になっていたから。
ただしそのお値段が2万〜5万もするのであっけなく候補から外れる。
それでも主に寝室で使うので音の静かなものが欲しくて、考えた末に
HITACHIの物にした。これは「微風」があるのと「左右首振り」の角度を
調整できるのが良い。見た目は普通。お値段5千円くらい。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

さて前回からの続きで「鳥取ひとり旅」の話です。

初めての鳥取は大学の仲間2人とぼくを合わせての3人での旅行で、
これはその一人の卒業制作に付き添ってのものだった。
「植田正治美術館」で作品鑑賞をしてから「鳥取大学」で学食を食べて、
いよいよ憧れの砂丘へ。それは砂と空のみで出来た異世界だ。
思わぬ規模の起伏があり、それをよじ登ると今度は目の前に静かな海が広がる。
まるで舞台装置のようだが、よく見ればところどころに草?が生えていたり、
地下調査の小規模な機械が設置されていて、それがこの風景の完璧さにわずかながら
水を差していた。

この旅行での思い出をまとめると、美術館で生前の植田正治さんに遭遇できたこと、
鳥取大学がぼくの母校と比べて、いかにも賢そうで(これはなんだろう、、
校内の雰囲気から感じた)しかも居心地が良さそうなのに驚いたのと、
宿泊した安宿が値段相応にボロかったこと、そして何より砂丘が印象深かったことに
終始する。

問題は?この3人旅行(女子のようだが、男3人でしかも内1人は、学生家業よりも
トラック・ドライバー家業に精を出して、出し過ぎたがために単位取得が追いつかず
5年間大学にいた、男臭いやつ)の後に、ぼく1人での「鳥取ひとり旅」で起きた。

それは初めてのひとり旅だった。

暇を持て余しまくった大学生だったので、急に思い立って鳥取に向かった。
自動車で大阪から鳥取へ。生憎の天気だったが、雨は降っていなかった。
移動中の記憶はあまりない。
ただ一つ、濃霧には驚いた。
速度を落とし、ハザードを焚いて四方を見渡したのだけれど見事に全て真っ白だった。

鳥取に着くと雨が降り出した。
砂丘の写真を撮ること以外は頭になかったので、これには困った。
例の安宿に泊まることにして、とにかく雨が止むまで待った。
1日つぶれ、2日目も昼間は雨。
ぼくは宿の狭い部屋の中で、畳に座ってぼんやり過ごした。
2日目、夜になって雨が止んだ。
夜の砂丘がどんな風景なのか、ぼくは知らない。
ただとにかく、テレビも(当時はスマホも)ラジオも無い狭い部屋に閉じこもり、
しびれを切らしていたので、車にカメラと三脚を乗せて向かったのだった。

雨上がりの砂丘は薄い霧に覆われていた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

続きは、また。

2016年8月16日火曜日

2016/08/16 鳥取砂丘、ひとり旅(その1)




写真は2012年の8月に幼馴染と尋ねた奥多摩での写真。
中国の墨絵の世界を見るようで驚いた。
奥多摩は東京都だ。
この日は日原の鍾乳洞へ行ったのだけれど、鍾乳洞の中は寒くて、
夏場の外との気温差にも驚かされた。(幼馴染のかけていた眼鏡は曇った)

今年2016年の夏といえば実家への日帰り帰省くらいのものか。
それから買い物、、。
それも趣味のものではなくて、PC用のプリンターと炊飯器の買い替え。
最初に買ったのがプリンター。これはこれまでに使っていたものが、交換インクの
販売を止めてしまったので、買い換えることになった。
以前のはヒューレット・パッカードのB9180ってタイプのもので、
インクは1色あたり4000円!!これが8色だから全色買うと32000円!!
ただし、減りやすいインクは決まっているし、インクの容量がとても多いので、
ぼくの使い方では交換は年に1回〜2回だった。
とても自然な発色で印刷できて、しかも色の調整をプリンターが勝手にしてくれて、
さらにはインクの目詰まりが一度もなかった。
お気に入りのものだったから、残念。

初めて買ったプリンターはエプソン。
2台目がこのヒューレット・パッカード。
で、今回の買い替えで3台目はブラザーにした。

インクはこれまでの8色から半分の4色へダウン。
しかも黒インクは文字の印刷用で、写真などの印刷は赤黄青の三色を混合して
色を作るそうだ。そのためだろう、試し刷りした数枚の写真は暗部の締まりが
弱くて、全体にボワっとした印象だ。

本体自体の価格は1万円弱で、これまでのエプソンやヒューレット・パッカードと
比べて格段に安くて、(両方とも5万前後だったはず)インク代もお安いそうだ。
これで問題なく長く使えればいいのだけれど。

プリンターが故障ではなく、インク生産中止で買い替えになったところへ
炊飯器の故障が重なった。

プリンターは、、8年は使っていたのだけれど、、炊飯器はたったの2年。
短いな。がっかり。
修理に出したところで、自動車のように代車ってわけにもいかないし、
結局買い替えた。
これはハイアールってメイカーのもので、デザインは良い。
価格も安い。まだ一度しか炊いていないけれど、ちょっと気になるのが
タイマーで、炊き上がり予定の時間より大分早く上がった、、気がする点。
もう一度試して、ちょっと調べてみて、ダメなら問い合わせてみようと思う。さて、

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

さて、
16年くらい前に鳥取砂丘を旅した時の思い出を書きたい。

写真絡みで鳥取砂丘といえば植田正治だろう。
16年前の大学生の頃に2回、鳥取砂丘へ行ったのだけれど、
1回目は同じ学部の友人の卒業作品作りへ同行してだった。
その時ぼくらがまず訪れたのがこの「植田正治美術館」だった。

植田正治はこの鳥取砂丘を舞台に様々な写真作品を残している。
それは奥さんや子供をモデルにしたものから、花火を打ち上げたもの、
スーツ姿の男を点在させたものなど多数あるが、これらシュールな作品は
海外でも人気がある。ぼくらが館内の作品を見て歩いていたら、
その本人が美術館にいて、ファンに求められてサインなどをしていた。
どんな方がこんな作品を作られたのだろう、とその姿を目にした。
その時のぼくの印象は、小柄で年配の方、と言った失礼ながら
ぱっとしないものだった。

それが美術館の後半の展示を見ていて驚いたのは、
それらの作品がデジタル写真で(2000年当時はまだフィルムが主流)、
インジェットプリターでプリントされたものだったからだ。
それは「雲」をとらえたもので、空の淡い青色と、雲の織りなす白から灰色、
黒までの濃淡が美しい作品たちだった。
これらプリンター出力の「雲」の写真から、当時22歳のぼくが言うのも
可笑しいけれどとても若々しい感性を感じたのだった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

続きはまた。

2016年8月8日月曜日

2016/08/08 サイレンとバスケットボール(その3)




写真は目黒区某所。
目黒は地名の由来が五色不動からなっているそうだ。
それは、目黒不動・目白不動・目赤不動・目青不動・目黄不動の五色だ。
目黒とはあまり縁がないけれど、この5箇所、いずれ回ってみたいと思ものだ。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

前回からの続きです。


12歳の夏休み。
早朝、ぼくは自転車の前かごにバスケット・ボールを入れて小学校へ向かった。
(当時小学校の校庭は解放されていた)
自転車で5分ほどの距離を誰ともすれ違うことがなくて、自分以外のすべての人が消えて
しまったのじゃないか、と錯覚するほど静かな朝だった。

小学校の校門は閉じていた。
自転車から降りると、体重をかけて押し開く。
サイレンが響いたのはその時だ。
まだ眠り込んでいる静かな街にそれが響き渡る。
サイレンの音の出所は、見回しても見上げても分からない。
白い校舎と、青い空と、緑の木々があるばかりで、ぼく以外の誰もいない。
その静まり返った朝の街にサイレンだけがガンガンと鳴り響く。
戦争が始まったと思った。

見上げた空には飛行機どころか鳥すら飛んでいないが、
サイレンは鳴り止まず、ぎゅっと胸が苦しくなる。
上から爆撃されたらどうしようもないけれど、「隠れなくちゃ」と
思い、旧校舎と新校舎を繋いだために出来た隙間にぼくは身を隠した。
なんで戦争なんてするんだ。なんでだ。なんでだ。怖い、と繰り返し思った。

ふと、サイレンが鳴り止む。とても静かだ。
誰一人、騒ぎ立てる人もない。
さあ、これから爆撃機が飛んでくるぞ。
ぼくは隙間に身を隠しながら構えている。
1分、2分。
静かだ。
静かだ。
そうか、、。
ぼく以外、みんなどこかへ避難してしまったんだ。
なんで、家を出る前に一言、親へ断らなかったのか、悔やまれる。
3分、4分。
、、まだ静かだ。

ぼくはそっと校舎の隙間から表へ出ると、校門から道路へ様子を伺いに行った。
やはり誰もいない。が、異常もない。
どこからか自動車のエンジン音が響く。
徐々に平常心が戻って行く。
ほっとした感情と恥ずかしさとがぼくの中で入り混じる。

広い校庭の奥にあるバスケットのゴールへ向かう。
何回かボールを投げる。
何回かが弾かれ、何回かがゴールへ吸い込まれる。
まだ人を見かけないけれど、どうやら戦争は無いようだ。
でも不安は残る。
この校庭の外側では日常の生活が送られているのだろうか。
それは自転車に乗って校門の外へ走り出るまで分からない。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

救急車や消防車では無いだろう。
今考えれば、きっと警察車のサイレンだったのだと思う。
この後ぼくは長い長い受験戦争に巻き込まれた。

2016年7月29日金曜日

2016/07/29 サイレンとバスケットボール(その2)



写真は今から8年ほど前に住んでいたアパートの屋上から撮ったもの。
このアパートは新宿にあり、ぼくは4年間ここに住んでいたのだけれど、
その内の2年間は写真スタジオで働きながら過ごし、残りの2年間を
今で言う所のニートに近い状況で過ごした。

ぼくはこのアパートの最上階・・と言っても3階建てなのだが・・に部屋を
借りていたのだけれど、ある日、大家さんが訪ねてきて屋上に出るための鍵を
渡してくれた。憧れの屋上。決して広くはないけれど、夏場は夜にシャワーを
浴びた後、汗がひくまで風に当たったりしていた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

さて、前回の続きです。

近所にある食品加工工場の駐車場に置かれていた、見慣れない機械。
その機械にあるハンドルを回したらサイレンが鳴り響いた。
それは想像の中の空襲警報そのものだった。
驚いてハンドルから手を離したけれど、勢いがついていて直ぐには止まらず
しばらくの間、サイレンは続いた。

怒られる。
そう思い、じっとしていたのだけれど、誰も気がつかなかったのか、
咎められることは無かった。
ほっとして見上げた空は真っ青な夏空だった。

今思えば、うちの実家の近所には防空壕もあるし、この警報機も第二次世界大戦の
名残だったのだろう。終戦が1945年。ぼくは1977年生まれだから、戦後32年。
正確には覚えていないけれど、この警報機のハンドルを回したのが10歳ならば、
戦後42年目くらいの事か。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

もう1つ、夏の記憶がある。
当時ぼくは12歳でバスケ部に所属していた。
中学1年、夏休みのことだ。

ぼくは夏休みがそれほど好きじゃなかった。
勉強こそ好きじゃないし苦手だったけれど、
学校に行けば友達もいるし可愛いクラスメイトの女子にも会えるから、
長い休日よりも学校があった方が良かった。

その日は朝早くに目が覚めてしまい、朝食の準備もまだで、
家にいるのも退屈だったから、自転車の前かごにバスケットボールを入れて
小学校へ向かった。

朝の6時半くらいだったか。
自転車を漕いで学校までの5分ほど、誰ともすれ違うことがなかった。
とても静かな朝だった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

続きはまた。

2016年7月24日日曜日

2016/07/24 サイレンとバスケットボール(その1)



写真は東京都世田谷区にある野毛大塚古墳。
公園と一緒にある。
当時の状態が復元されて、古墳を囲うように土器が並べられているのが面白い。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

学生たちはいよいよ夏休み突入だ。
計16年の学生時代に毎年味わった長い休暇のこと、様々な思い出があるけれど、
その夏休みに小学生の頃、地域の子供会で映画の上映があった。
記憶にあるのは2回きりで、1回は近所の神社に併設された集会所?
の中で畳に座っての鑑賞で、もう一回は自動車の入り込まない路上にスクリーンを
立て、パイプ椅子を並べての青空鑑賞会だった。どちらも夜に、だ。

2回とも2本立てだったように思うのだけれど、どちらも一本ずつしか思い出せない。
青空鑑賞での映画は「ガンバの冒険」でこれはとても面白かった。
問題は神社で見た方で、これはタイトルはわからないが大変なもので、
時代設定は・・昭和一桁台?・・戦前だろうか、貧しい農家と思われるお宅が
借金に苦しめられていて、その方がわりに長女を差し出すお話。
その長女は自分が借金の方になるのが耐えらず、滝に身を投げてしまう。
で、この話は「完」となる。
こんな話を見せられて、小学生が何を学ぶというのだろう。

当時、姉代わりのようだった若い叔母と一緒に暮らしていたぼくは、
このアニメ映画がただひたすら怖くて泣いてしまいそうだったが、
近所の同世代の子供たちの手前もあって堪えた。

テーマは違うけれど夏休みのアニメといえば「火垂るの墓」がある。
戦争物は教科書にもあって「ちいちゃんのかげおくり」や、
「かわいそうなぞう」や、「怒り地蔵」なんかを良く覚えている。
ぼくは余程単調(刺激の無い)な子供時代を過ごしてきたからか、
こう言ったお話が本当に怖かった。

その頃、近所に食品加工の工場があった。
工場には道路に面して狭い駐車場があるのだけれど、ある日、
その工場の前を歩いていたら、その駐車場に見慣れない機械が
置かれているのに気がついた。
古いものでもう使われているものではなさそうだった。
確か椅子がセットになっていて、座って箱の横についたハンドルを回すだけの
簡単なものだったような不確かな記憶がある。

日曜だったのか工場はお休みで、人通りもなかったのだろう。
その椅子に座ってぼくはハンドルを回した。

サイレンが鳴り響いた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

続きはまたにします。

2016年7月2日土曜日

2016/07/01 宇宙人と出会いました(その3)解決編




写真は東京タワーの展望台から撮ったもの。
右側のビルは「六本木ヒルズ」だ。
東京タワーの展望台に上がるまで、東京タワーと六本木ヒルズが
こんなに近いなんて思わなかった。
ここの展望台にはこれまでに2回上がった。
1回目は勤めていた写真スタジオの社長と(仕事で)だった。
デート中のカップルが多かったので上へ上がるエレベーターの列に並びながら
複雑な気持ちだった。
2回目がこの写真を撮った時で、この時は1人だ。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

写真暗室で宇宙人と出会った話、続きです。
小さな赤いランプの灯る暗室での作業に、急に息苦しさを感じて外へ出ると、
外は日が暮れ始めていた。
数人、今日の部活を終えて体操着から制服に着替えたものと思われる学生が
部室から飛び出してくると足早に下校を始める。
いつの間にかかなり長い時間、暗室作業をしていたようだ。
何時まで学校にいて大丈夫なのかをぼくは知らずにいたし、
きっと顧問は暗室にまだぼくが残っているなんて思ってもいなかっただろう。
そろそろ切り上げなきゃならない。
ただ、写真の印画紙から画像を浮かび上がらせる現像液は傷みが早いのだ。
ダメになってしまう前にできればもう数枚だけでもプリントしたかった。
ぼくは暗室に戻るとなんとか気持ちを切り替えて作業を始めた。

扉を閉めると暗室の中は静かで、この部室の外に校舎があることや、
他の部の部室があることや、まだ残っているだろう自分と同じ学生や教師が
いることが信じられない気持ちになった。
そして、さっき慌てて下校していた学生の姿が脳裏に浮かんだ。
すると、この学校に残っているのはもしかしたら自分1人なんじゃないか
と言う思いに駆られ、また軽いパニックのようなものに襲われたのだが、
自分の気持ちをなんとか落ち着かせて、引き伸ばし機にフィルムをセットした。

引き伸ばし機のスイッチを入れると白黒の写真画像が真下に投影される。
その画像の適当な場所に特殊なルーペを置き、ピントを合わせるために
ぼくはそのルーペに目を当てた。するとその中に宇宙人がいた。
あまりの事に、最初は我が目を疑った。
それから良く目を凝らして見たのだけれど、それは正に宇宙人であった。
ぞっとして、今ここに独りきりなのが心細くて仕方なくなった。
こんなことってあるだろうか。

ルーペから目を離して顔を上げる。自分を落ち着かせる。
そして投影画像の上からルーペをどかして、肉眼で画像を見てみる。
すると・・・宇宙人がいない・・。
でもさっきの位置にもう一度ルーペを置いて覗いてみる。と、いる。
宇宙人がいる。
いわゆる「グレイ・タイプ」とは少し違うけれど、グレイとETを足して割った
ような宇宙人がどうしてもそこにいる。
恐くなって、すべてほっぽり出して下校してしまおうか、と一瞬思った
のだけれど、このままでは帰れない。こんな馬鹿馬鹿しい話はないのだ。
この広い宇宙には宇宙人がいるかもしれない。でも、この渋谷の駅前
スクランブル交差点の人混みを撮った写真の中に宇宙人が紛れ込んでいるなんて
信じられない。仮にもしいたのなら誰かが気がついて大騒ぎになっていたはずだ。

ルーペの中の拡大された映像では解決しない。
とりあえずプリントすることにした。
引き伸ばし機から投影された画像が、セットされた印画紙に焼付く。
その印画紙を現像液に浸すと、あら不思議。写真が浮かび上がる。
写真の浮かび上がった印画紙を別の薬剤に浸けて定着させたら、
最後に水洗いして、写真を乾かせば完成。
ただ実際は定着作業まで進めれば暗室の電気をつけても大丈夫だ。

電気をつけて出来上がった写真を見る。
宇宙人のいる辺りを良く見る。
スクランブル交差点を歩く人人人。
その中に1人の男。
その男が被っている帽子に、あの宇宙人が描かれていたのだった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

なんだかんだ言っても楽しませてもらっていた暗室だったが、
ぼくが高校2年の夏休みに取り壊された。
それは「教室から暗室が見えるよりも、花壇があった方が受験生にとって
環境がいいから」という理由だった。

2016年6月26日日曜日

2016/06/25 宇宙人と出会いました(その2)




写真のオブジェは新宿のオフィス街にある。
この一角にCanonのサービスセンターがあり、点検に出したカメラを
受け取った帰りにこの写真を撮ったのだった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

写真暗室で宇宙人に出会った話、前回の続きです。
2つ上の先輩が卒業してしまい、後輩も入らず、高校2年の1年間は
写真部員はぼく一人だった。
顧問は元々野球部か何かを指導していた人で(母校は野球で有名だった)
それがなぜ写真部の顧問に就いたのかわからないけれど、
写真に関する知識はあまりなくて、部の活動にもそれほど熱心ではなかった。
だから暗室作業にも、まだ先輩がいた頃に一度顔を出したきりだった。
(まぁ、狭い暗室に男2人で籠るってのもぞっとしないが)

だからその日の放課後も1人で暗室作業をしていた。
赤い電球がぼんやりと暗室内を照らしている。
その中でぼくは繁華街でのスナップ写真をプリントしていた。
フィルム写真でのプリントには「引き伸ばし機」を使う。
フィルムは大抵6カットごとに切られてシートに収まっているから、
36枚撮りのフィルムだと、シートに6列フィルムが並ぶ。
その中から気に入った1コマに光が当たるように引き伸ばし機にセットする。

フィルムがセットできたら次はピント調整だ。
写真は撮る時にもピント合わせが必要だけれど、
フィルムではプリントにもピント合わせが必要なのだ。
引き伸ばし機の中に収まっている電球を点灯すると、
まるで映写機が画像を投影するように、写真画像がプリント台に投影される。
投影された写真のピントは専用のルーペを使って合わせる。
そのピント合わせだけれど、これにはちょっとしたコツがある。
ルーペを覗いて、フィルムの粒子がくっきり見えるところにピントを合わせるのだ。

その頃は特にテーマもなく写真を撮っていたし、暗室作業にしても、
ただ、真っ白な印画紙に写真画像が浮かび上がってくるのが不思議に面白くて
やっていたようなものだった。

その日もそうだった。

ぼくは暗室に籠って、
科学者がフラスコや試験管を持って研究しているような(イメージ)
感じで、ただしあまり意味もなく、淡々とプリントをしていたのだった。
それが、何枚くらいプリントしたのか覚えてないが、急に虚しくなった。
自分のしていることが急に無意味に思えた。
確かに面白いには面白いのだけれど、面白いばかりで意味がない。
いくらプリントしても見てくれる人がいるわけでもないのだ。
そう思って、急に我に返ってしまった。
そうしたら暗室の中が息苦しく感じられたので、外へ出た。

外はいつの間にか日が暮れ始めていた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

※長くなりました。続きはまた近日に。

2016年6月8日水曜日

2016/06/08 宇宙人と出会いました(その1)




写真は多摩都市モノレールの立飛駅で、2015年の12月にオープンした
「ららぽーと」の工事風景だ。
立飛は立川市にあってなかなか興味深い場所である。
以前職場があって、02年〜04年の2年間ほどをぼくはここへ通っていた。
当時「立飛」駅を降りると周囲にはほとんど何もなくて、
幅の広い道路がドバッと敷かれているばかりだった。
その道路をひたすら歩くと中古自動車屋が数件、広大な敷地に車を並べていた。
それからテニスコート。いつも大学生が歓声をあげながら練習していた。
後は住宅展示場と結婚式場・・それに宗教施設か・・があるばかり。
こうやって書くと色々あるように感じるけれど、あまりに贅沢?な空間で、
まだまだ広大な土地が余っているように感じられた。
この立飛だけれど、「飛」の文字が使われているだけあって飛行機に縁のある
場所で、帝国陸軍の航空部隊を顧客とする企業があり、この企業は軍用機を作って
いたそうだ。
東京にあって(都心からは離れているけれど)、この空間。
IKEAができて、次にららぽーとができた。
昭和記念公園も戦後アメリカに没収された場所が開かれて出来たようだし、
ほど近い立飛もそんな兼ね合いがあって、手付かずな空間が多いのだろう。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

写真部に入部したことがきっかけで、現在これを生業にしている。
今38歳だから、かれこれ20年だ。
当初は半ば帰宅部のつもりでいたのだけれど、良い先輩がいて、
結局は写真にのめり込んだのだ。
ただ、その先輩は3年生だったから翌年には卒業してしまい、
さらにその翌年に女子が2人(彼女たちは完全に帰宅部だったが)
入部してくるまで、写真部員はぼくただ一人だった。

先輩に教わったことの一つがフィルムの現像方法で、もう一つが暗室作業だった。
フィルムの現像にはダークバックを使う、これは手元から腕までを覆う黒い袋で
中は完全に遮光されて真っ暗だ。この袋の中でフィルムをリールに巻き、そのリール
をタンクに入れて蓋をする。このタンクの中も真っ暗で、現像が終わりフィルムに
映像が定着するまでこの蓋は閉じたままだ。
暗室とはその名の通り暗い部屋だ。この部屋も遮光されている。
ただ、白黒写真をプリントする作業においては赤いランプが灯される。
暗いランプだけれど目が慣れればかなりはっきりものが見える。
これは暗室作業用のランプだから、白黒写真の印画紙に影響はない。

これがカラー写真の作業だと、真っ暗な中で作業するんだとか。
(ブルーの暗いランプを目安にするって聞いたこともある)
ぼくはフィルムでのカラー現像について学ばなかったから、よく知らない。
今はPCで作業できるので、助かる。PCは「明るい暗室」などと呼ばれている。

その赤いランプのみ灯された暗室でぼくは宇宙人に出会ってしまった。
・・この続きは、またにします。

2016年6月6日月曜日

2016/06/06 心霊写真



写真は潮干狩りの風景。神奈川県の「海の公園」だ。
みんな下を向いて黙々と貝取りをしていて、面白かった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ 

ぼくが写真部で写真の基礎を身につけたのは高校生の頃だ。
その頃先輩に勧められて、カメラ専門雑誌から色々と学んだ。
夜景を撮る方法はいくつかあるけれど、「長時間露光」もその一つだ。
その雑誌からでも学んだのだろう。ある晩、急に夜景を撮ろうと思い立った。
ただし、それはどんな風に撮れるか試してみたいって程度のことだったが。
ぼくはその晩カメラを抱え、そして・・・
なぜか母の運転する車で夜景を撮りに出たのだった。

写真のテクニックである「長時間露光」は色々ないたずらをする。
夜が昼間のように写ったり、車のテールランプが軌跡を描いたり、
その場の加減で写真全体の色が偏ったり、と。
ぼくがその晩撮った写真では、その日に黒い服を着込んでいた母が
体は写らずに顔だけが浮いて写っていた。まるで心霊写真だ。

面白くてクラスメイトに見せたらテレビの「お祓いコーナー」に
応募しようって話になった。
一人の女子に「これ本物なんだよね」って聞かれて、
いい加減に「本物だ」って言ってしまったんだよな。

その写真が大きく引き伸ばされてテレビに登場したのは、
それから一月後くらいだったか。
いい加減な坊さんが「これは本物だ」と言い、
フィルムを焼いたものを塩で清めなければならないと宣ったのだった。
母は少女の霊だと言われて喜んでいた。
ぼくは複雑な気持ちになった。
それから20年が経つけれど、そのフィルムはまだ手元にある。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

次回。宇宙人登場です。

2016年5月19日木曜日

2016/05/19 タックス・ヘイブン(とりあえず〆)



写真は多摩湖です。多摩湖は狭山湖と隣接している。
確かここは県境で、多摩湖は東京にあり、狭山湖は埼玉にある。
都民の水瓶と言われていて、飲み水に使われている。
写真の右奥に見えるのは西武ドーム。
写真の左側に見えるのは、、わからない、、でもいい雰囲気で
ぼくはこの風景からルパン三世の「カリオストロの城」を思い出す。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 

このブログでずっと国民年金について書いていたところ、
タックス・ヘイブンのニュースが入った。
どちらも税金絡みで、ぼくはこれらを関連づけて考えた。

国民年金は(未だに分からないことも多いけれど)、
およそ40年間・・60歳くらいまで・・支払う側の人と、
逆に65歳以上の支給される側の人がいる。
(ちなみに以前は就職するまで加入は任意だったそうだ)

この国民年金に対してタックス・ヘイブンは→日本語にすると
「租税回避地」とある。
・・租税。これを辞書で調べると、
国家が経費にあてるため国民や住民から強制的に徴収する金銭・・とある。
強制的にってのが、凄い。
「租税回避地」これは、
要は、強制的に徴収されるお金を逃がすための場所ってことだろう。
徴収逃れしたお金がどのように使われるのか、これは謎だが。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 

さて、興味本位に今回パナマ文書によって出てきた会社や個人名を検索してみた。
(これで驚くのは検索次第でむしろ、租税回避の方法が出てくることだ)
それはともかく、
海外勢では・・・?
これが検索しても簡単には一覧表などが出てこない。
今回出てきた情報が膨大すぎるからだろうか?
少し的を絞って検索すると、ぼくも愛用しているAppleやGoogle、
スターバックスといった名前が出てくる。

国内では電通、大和証券、三菱商事、、他多数。

個人名ならアグネス・チャン、ジャッキー・チェン、メッシ、などなど。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 

情報が多すぎてこれから大きな動きがみられるのかな。
オバマ大統領はこれについて「合法なことこそが問題だ」と意見したらしい。

不思議なのはこんなに大きなお金をペーパーカンパニーに預けて?
何がしたいのかってこと。

これが個人レベルなら、単純に税金払うのが嫌だ、ってのは分かる。

でも企業が大金を逃すとなるとよく分からない。

会社の経営が傾いたときの資金なのか?
大きな事業に充てるための資金なのか?(いずれ宇宙にでも進出する予定なのか)
何か遺伝子操作でもして、未来に託す予算でも作っているのか?

ぼくには分からない。

分からないから、陰謀説を唱えたくなる。

お金が潤沢に庶民に回ることを嫌う人たちがいるんじゃないか、と。

これまで築いてきたパワーバランスを保ちたい人々が。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 

さて、タックス・ヘイブンについては一旦これで〆ようと思います。

新しいニュースが入ったり、書きたいことが出たらまた追加します。