2016年7月29日金曜日

2016/07/29 サイレンとバスケットボール(その2)



写真は今から8年ほど前に住んでいたアパートの屋上から撮ったもの。
このアパートは新宿にあり、ぼくは4年間ここに住んでいたのだけれど、
その内の2年間は写真スタジオで働きながら過ごし、残りの2年間を
今で言う所のニートに近い状況で過ごした。

ぼくはこのアパートの最上階・・と言っても3階建てなのだが・・に部屋を
借りていたのだけれど、ある日、大家さんが訪ねてきて屋上に出るための鍵を
渡してくれた。憧れの屋上。決して広くはないけれど、夏場は夜にシャワーを
浴びた後、汗がひくまで風に当たったりしていた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

さて、前回の続きです。

近所にある食品加工工場の駐車場に置かれていた、見慣れない機械。
その機械にあるハンドルを回したらサイレンが鳴り響いた。
それは想像の中の空襲警報そのものだった。
驚いてハンドルから手を離したけれど、勢いがついていて直ぐには止まらず
しばらくの間、サイレンは続いた。

怒られる。
そう思い、じっとしていたのだけれど、誰も気がつかなかったのか、
咎められることは無かった。
ほっとして見上げた空は真っ青な夏空だった。

今思えば、うちの実家の近所には防空壕もあるし、この警報機も第二次世界大戦の
名残だったのだろう。終戦が1945年。ぼくは1977年生まれだから、戦後32年。
正確には覚えていないけれど、この警報機のハンドルを回したのが10歳ならば、
戦後42年目くらいの事か。

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もう1つ、夏の記憶がある。
当時ぼくは12歳でバスケ部に所属していた。
中学1年、夏休みのことだ。

ぼくは夏休みがそれほど好きじゃなかった。
勉強こそ好きじゃないし苦手だったけれど、
学校に行けば友達もいるし可愛いクラスメイトの女子にも会えるから、
長い休日よりも学校があった方が良かった。

その日は朝早くに目が覚めてしまい、朝食の準備もまだで、
家にいるのも退屈だったから、自転車の前かごにバスケットボールを入れて
小学校へ向かった。

朝の6時半くらいだったか。
自転車を漕いで学校までの5分ほど、誰ともすれ違うことがなかった。
とても静かな朝だった。

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続きはまた。

2016年7月24日日曜日

2016/07/24 サイレンとバスケットボール(その1)



写真は東京都世田谷区にある野毛大塚古墳。
公園と一緒にある。
当時の状態が復元されて、古墳を囲うように土器が並べられているのが面白い。

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学生たちはいよいよ夏休み突入だ。
計16年の学生時代に毎年味わった長い休暇のこと、様々な思い出があるけれど、
その夏休みに小学生の頃、地域の子供会で映画の上映があった。
記憶にあるのは2回きりで、1回は近所の神社に併設された集会所?
の中で畳に座っての鑑賞で、もう一回は自動車の入り込まない路上にスクリーンを
立て、パイプ椅子を並べての青空鑑賞会だった。どちらも夜に、だ。

2回とも2本立てだったように思うのだけれど、どちらも一本ずつしか思い出せない。
青空鑑賞での映画は「ガンバの冒険」でこれはとても面白かった。
問題は神社で見た方で、これはタイトルはわからないが大変なもので、
時代設定は・・昭和一桁台?・・戦前だろうか、貧しい農家と思われるお宅が
借金に苦しめられていて、その方がわりに長女を差し出すお話。
その長女は自分が借金の方になるのが耐えらず、滝に身を投げてしまう。
で、この話は「完」となる。
こんな話を見せられて、小学生が何を学ぶというのだろう。

当時、姉代わりのようだった若い叔母と一緒に暮らしていたぼくは、
このアニメ映画がただひたすら怖くて泣いてしまいそうだったが、
近所の同世代の子供たちの手前もあって堪えた。

テーマは違うけれど夏休みのアニメといえば「火垂るの墓」がある。
戦争物は教科書にもあって「ちいちゃんのかげおくり」や、
「かわいそうなぞう」や、「怒り地蔵」なんかを良く覚えている。
ぼくは余程単調(刺激の無い)な子供時代を過ごしてきたからか、
こう言ったお話が本当に怖かった。

その頃、近所に食品加工の工場があった。
工場には道路に面して狭い駐車場があるのだけれど、ある日、
その工場の前を歩いていたら、その駐車場に見慣れない機械が
置かれているのに気がついた。
古いものでもう使われているものではなさそうだった。
確か椅子がセットになっていて、座って箱の横についたハンドルを回すだけの
簡単なものだったような不確かな記憶がある。

日曜だったのか工場はお休みで、人通りもなかったのだろう。
その椅子に座ってぼくはハンドルを回した。

サイレンが鳴り響いた。

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続きはまたにします。

2016年7月2日土曜日

2016/07/01 宇宙人と出会いました(その3)解決編




写真は東京タワーの展望台から撮ったもの。
右側のビルは「六本木ヒルズ」だ。
東京タワーの展望台に上がるまで、東京タワーと六本木ヒルズが
こんなに近いなんて思わなかった。
ここの展望台にはこれまでに2回上がった。
1回目は勤めていた写真スタジオの社長と(仕事で)だった。
デート中のカップルが多かったので上へ上がるエレベーターの列に並びながら
複雑な気持ちだった。
2回目がこの写真を撮った時で、この時は1人だ。

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写真暗室で宇宙人と出会った話、続きです。
小さな赤いランプの灯る暗室での作業に、急に息苦しさを感じて外へ出ると、
外は日が暮れ始めていた。
数人、今日の部活を終えて体操着から制服に着替えたものと思われる学生が
部室から飛び出してくると足早に下校を始める。
いつの間にかかなり長い時間、暗室作業をしていたようだ。
何時まで学校にいて大丈夫なのかをぼくは知らずにいたし、
きっと顧問は暗室にまだぼくが残っているなんて思ってもいなかっただろう。
そろそろ切り上げなきゃならない。
ただ、写真の印画紙から画像を浮かび上がらせる現像液は傷みが早いのだ。
ダメになってしまう前にできればもう数枚だけでもプリントしたかった。
ぼくは暗室に戻るとなんとか気持ちを切り替えて作業を始めた。

扉を閉めると暗室の中は静かで、この部室の外に校舎があることや、
他の部の部室があることや、まだ残っているだろう自分と同じ学生や教師が
いることが信じられない気持ちになった。
そして、さっき慌てて下校していた学生の姿が脳裏に浮かんだ。
すると、この学校に残っているのはもしかしたら自分1人なんじゃないか
と言う思いに駆られ、また軽いパニックのようなものに襲われたのだが、
自分の気持ちをなんとか落ち着かせて、引き伸ばし機にフィルムをセットした。

引き伸ばし機のスイッチを入れると白黒の写真画像が真下に投影される。
その画像の適当な場所に特殊なルーペを置き、ピントを合わせるために
ぼくはそのルーペに目を当てた。するとその中に宇宙人がいた。
あまりの事に、最初は我が目を疑った。
それから良く目を凝らして見たのだけれど、それは正に宇宙人であった。
ぞっとして、今ここに独りきりなのが心細くて仕方なくなった。
こんなことってあるだろうか。

ルーペから目を離して顔を上げる。自分を落ち着かせる。
そして投影画像の上からルーペをどかして、肉眼で画像を見てみる。
すると・・・宇宙人がいない・・。
でもさっきの位置にもう一度ルーペを置いて覗いてみる。と、いる。
宇宙人がいる。
いわゆる「グレイ・タイプ」とは少し違うけれど、グレイとETを足して割った
ような宇宙人がどうしてもそこにいる。
恐くなって、すべてほっぽり出して下校してしまおうか、と一瞬思った
のだけれど、このままでは帰れない。こんな馬鹿馬鹿しい話はないのだ。
この広い宇宙には宇宙人がいるかもしれない。でも、この渋谷の駅前
スクランブル交差点の人混みを撮った写真の中に宇宙人が紛れ込んでいるなんて
信じられない。仮にもしいたのなら誰かが気がついて大騒ぎになっていたはずだ。

ルーペの中の拡大された映像では解決しない。
とりあえずプリントすることにした。
引き伸ばし機から投影された画像が、セットされた印画紙に焼付く。
その印画紙を現像液に浸すと、あら不思議。写真が浮かび上がる。
写真の浮かび上がった印画紙を別の薬剤に浸けて定着させたら、
最後に水洗いして、写真を乾かせば完成。
ただ実際は定着作業まで進めれば暗室の電気をつけても大丈夫だ。

電気をつけて出来上がった写真を見る。
宇宙人のいる辺りを良く見る。
スクランブル交差点を歩く人人人。
その中に1人の男。
その男が被っている帽子に、あの宇宙人が描かれていたのだった。

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なんだかんだ言っても楽しませてもらっていた暗室だったが、
ぼくが高校2年の夏休みに取り壊された。
それは「教室から暗室が見えるよりも、花壇があった方が受験生にとって
環境がいいから」という理由だった。