写真は千葉県、銚子の海です。
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ひどい買い物をしてしまった経験は誰でもあるだろう。
上げればキリがないほどぼくにはあるけれど、今回はその中から1つお話ししたいと思う。
それは高校3年生の終わりに買ってしまった 「マクラ」だ。
これはテレビ・ショッピングで買った。
(多分テレビ・ショッピングで買い物をしたのはこれまでに2回)
ぼくは中学から大学を卒業する22歳まで良くテレビを見た。
中学高校の頃は受験勉強で徹夜のふりをしつつ、親が寝た頃を見計らっては
深夜のテレビを(これは主に、と言うか完全にすけべなものを)見ていた。
大学に入ってからは一人暮らしでこれはもう好きなだけ見た。
自分の理想とかけ離れた大学生活を送り、腐っていたぼくはテレビの中の幸せに
見える人々(楽しそうにクイズをしたり、ゲームをしたり、おしゃべりするのが
お仕事ってのがたまらない)に嫌悪感を抱いてはテレビの電源を切り、
それでも気がつけば電源を入れてじっと画面に見入る
といったことを日々繰り返していた。
その頃の友人の1人が「ぼくはテレビは持たない。テレビは怖から。だからラジオが
友達だ」などと言っていたのだけれど・・・スマートフォンはもちろん、
パソコンもまだ学生の間には普及していない頃だ・・・ぼくは彼の考え方に対して、
何をジジ臭いこと言っているんだ!ラジオなんて時代遅れで可笑しいよ!
と、思ってバカにしていた。
それが大学を卒業して一度親元に戻り(卒業後しばらく無職だった)、
仕事を始めて改めて1人暮らしを始めてからテレビを持たなくなった。
(気づいたら見てしまうからね)
そして今、相棒はラジオだ!ラジオ、もっと放送局があればいいのに、と思う。
話を戻して問題の「枕」。
その日ぼくは大学受験を終えて、晴れてテレビを見ていた。
それまで過酷な受験戦争に巻き込まれ、勉強勉強で徹夜の日々を送っていたので
毎日が睡眠不足でただでさえ冴えない頭に薄い膜まで張っていたぼくの前で
テレビ・ショッピングが始まった。
なんでその番組に引き込まれたのか、今となってはわからない。
その枕は確か外国の商品で、テレビの中で宣伝していたのも白人の男性だったか
女性だった気がする。
その商品は「仰向け寝でも横向け寝でも最高の枕」と宣伝されていた。
ぼくは、コレだ。と思った。
最高の眠り。
受験も終わり、
コレで最高の眠り&最高の日々が手に入る、と本気で思った。
なので「大学にも受かったし、この枕を買ってくれ」と母に懇願したのだった。
枕は英語でピロー。その枕は「コント・(X)ロー」って商品だった。
そしてピローが届いた。
その枕を使って、高校にして始めてぼくは肩こりってものを知った。
それは吐き気を伴うひどい肩こりだった。
最高の枕で最高の肩こり。
そんなはずはない。
信じたくなかった。でもこのピローで横になるだけで、もうダルいのだ。
届いて1週間ほどでこの枕はゴミになった。
それでも、以前の枕に戻しても、肩こりは治らない。
ぼくの大学生活は、肩こりとともにスタートした。
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この肩こりをどうやって克服したか。
それは、また次回にでも。
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さて、「秘密基地 その5」
小学校の4年生。10歳の頃。ぼくは幼馴染みの2人と3人で近所の林に秘密基地を作った。
傾いた木にブルーシートを被せて、その秘密基地はできた。
でも、いざ秘密基地ができてみると、その基地でできることはあまりなかった。
そこには冷蔵庫も、トイレもなくて、宿泊などできない。
ぼくらにできたのはただ基地の中にこもり、馬鹿話をするくらいだった。
だからその日、3人で集まった秘密基地が壊されていても、
ぼくはそれほど悲しくはなかった。
ただ、なんでこんな意地悪するんだろう、と思っただけだ。
基地を壊したのは近所のオバさんで、そのオバさんは前からぼくらが林へ入るのを
嫌がっていた人だった。
秘密基地が無くなり、隠れる場所を失ったぼくらは自転車で近所を走り回っていた。
そうしたら同じクラスの別の男子グループに会った。
「何してるの?」と話しかけてきたから、秘密基地が壊された話をした。
そうしたら、「すごい基地があるよ」と、打ち明けられた。
驚いてぼくは聞いた。「どこにあるの?」、
「この林の裏だよ!連れて行ってあげる」
それはぼくらの秘密基地と同じ林だった。
驚くべきものだった。
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続きは、また。