写真は牛久の大仏様。高さは120m、とにかく大きい。
連れてこられた子供が驚いて泣いた、という噂もあるほど。
1993年に作られたそうです。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
前回から3年以上空いてしまった。
この間に子供が生まれ、2回引越しをした。
自営業だったのが、会社員になった。
環境の変化で目眩がするほど。
これまでは出来るだけ自分の幼い頃の記憶から遡って、
ブログをつけてきたけれど、
これからはいま自分が感じていることや思っていることも書いていきたい。でもまずは前回からの続き、秘密基地の話を完結させます。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
秘密基地 その10
防空壕を基地にすることが出来なかったぼくらは、次に排水溝を秘密基地にした。
その日、基地へ集合してみると前日の雨で基地の中に置いていたものが押し流されていた。
ぼくらの秘密基地は排水溝とは言え、その貯水部分でそれなりの広さがある。そこへバスマットを引き、色々なものを持ち込んで基地にしていたのだけれど、それが雨で押し流されてしまった。
流されたものは基地にしていた貯水部分と比べ、はるかに狭い排水路で、ガラクタばかりだし放っておこう、と思ったのだけれど、「自転車の空気入れが無くなったら困る」と一人が怒り出し、それでぼくらはしかたなく、その狭い水路に入ることになった。
四つ這いになり、一列になって穴の中を這い進む。
満足に頭を上げられないほど、穴の中は狭くて息苦しさを覚える。
ぼくらは自分たちが進んでいる方向だけはわかっていた。
ここを進めば行き着くのは通りの交差点だ。
でもそれは外での話で、頭上でのこと。
この排水路の中は暗く、狭く、景色は変わらず、いつまでたっても自分たちがどの辺を這っているのか分からなかった。
僕等はひたすら前を行く友達の靴底を見ながら這い進む。
しばらくは服が壁を擦る音と自分たちの息遣いばかりが耳についた。
次第にその狭さと息苦しさで、いくら進んでも自転車の空気入れは見つからず、後戻りも出来なくなって、このまま排水溝から出られなくなるのではと、怖くなった。
なので僕は「空気入れ、見つかった?」と声をかけた。
「まだ見つからない」そう返事があって、
「もう探すのやめて戻ろう」と答えたけれど、
「あれは家の空気入れだから、無くしたら困る」と言われて、また這い進む。
それからずいぶん前進して、肘や膝が痛くなってまた泣き言を言い出したくなった頃、やっと空気入れが見つかった。
「見つけた」と先頭から聞こえてほっとした。
それから「これ持って下がれないから、後ろに回して」と後ろ手に空気入れが回されてくる。
受け取った空気入れをぼくも股の間から後ろに回す。
「戻って!」と先頭から声が上がった。
皆んな息苦しくて、早く戻りたいのだ。
前進するのもやっとの狭い排水溝を、後ろ向きに下がって進むのはさらに大変なことだった。
くるっとUターンしたくても、それだけの幅がない。
窮屈な中を無理やり後ろ向きに進むことで何回か前の友達の靴がぼくの手を踏み、ぼくの靴が後ろの友達の手を踏んだ。とても息苦しかった。
「こんなの持ったまま下がれない」一番前を行く(後ろ?)友達が空気入れを抱えたまま進むのが辛い、とぼくに空気入れを渡してきた。そしてまたぼくらは息を切らしながらきた道を戻りだした。
でもぼくも直ぐに音を上げた。
ただでさえ這い辛いのに、空気入れが邪魔で仕方ない。
「自分で持って行きなよ」とぼくは家からこの自転車の空気入れを持ってきた本人にそれを渡した。
どうにか自分たちの秘密基地へ辿り着いた。
排水溝の中とはいえ、広い空間へ戻りほっとした。
それは皆んなも同じ気持ちで、4人集まるとひとしきり声を上げて不安だった気持ちを発散した。そして外の空気を思い切り吸うべく、秘密基地の蓋である格子状の鉄蓋を開けて顔を出した。するとそこに一人のおばあちゃんがいてぼくらのことを見下ろしていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
続きはまた直ぐに。
秘密基地の話は次で完結します。