2016年6月26日日曜日

2016/06/25 宇宙人と出会いました(その2)




写真のオブジェは新宿のオフィス街にある。
この一角にCanonのサービスセンターがあり、点検に出したカメラを
受け取った帰りにこの写真を撮ったのだった。

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写真暗室で宇宙人に出会った話、前回の続きです。
2つ上の先輩が卒業してしまい、後輩も入らず、高校2年の1年間は
写真部員はぼく一人だった。
顧問は元々野球部か何かを指導していた人で(母校は野球で有名だった)
それがなぜ写真部の顧問に就いたのかわからないけれど、
写真に関する知識はあまりなくて、部の活動にもそれほど熱心ではなかった。
だから暗室作業にも、まだ先輩がいた頃に一度顔を出したきりだった。
(まぁ、狭い暗室に男2人で籠るってのもぞっとしないが)

だからその日の放課後も1人で暗室作業をしていた。
赤い電球がぼんやりと暗室内を照らしている。
その中でぼくは繁華街でのスナップ写真をプリントしていた。
フィルム写真でのプリントには「引き伸ばし機」を使う。
フィルムは大抵6カットごとに切られてシートに収まっているから、
36枚撮りのフィルムだと、シートに6列フィルムが並ぶ。
その中から気に入った1コマに光が当たるように引き伸ばし機にセットする。

フィルムがセットできたら次はピント調整だ。
写真は撮る時にもピント合わせが必要だけれど、
フィルムではプリントにもピント合わせが必要なのだ。
引き伸ばし機の中に収まっている電球を点灯すると、
まるで映写機が画像を投影するように、写真画像がプリント台に投影される。
投影された写真のピントは専用のルーペを使って合わせる。
そのピント合わせだけれど、これにはちょっとしたコツがある。
ルーペを覗いて、フィルムの粒子がくっきり見えるところにピントを合わせるのだ。

その頃は特にテーマもなく写真を撮っていたし、暗室作業にしても、
ただ、真っ白な印画紙に写真画像が浮かび上がってくるのが不思議に面白くて
やっていたようなものだった。

その日もそうだった。

ぼくは暗室に籠って、
科学者がフラスコや試験管を持って研究しているような(イメージ)
感じで、ただしあまり意味もなく、淡々とプリントをしていたのだった。
それが、何枚くらいプリントしたのか覚えてないが、急に虚しくなった。
自分のしていることが急に無意味に思えた。
確かに面白いには面白いのだけれど、面白いばかりで意味がない。
いくらプリントしても見てくれる人がいるわけでもないのだ。
そう思って、急に我に返ってしまった。
そうしたら暗室の中が息苦しく感じられたので、外へ出た。

外はいつの間にか日が暮れ始めていた。

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※長くなりました。続きはまた近日に。

2016年6月8日水曜日

2016/06/08 宇宙人と出会いました(その1)




写真は多摩都市モノレールの立飛駅で、2015年の12月にオープンした
「ららぽーと」の工事風景だ。
立飛は立川市にあってなかなか興味深い場所である。
以前職場があって、02年〜04年の2年間ほどをぼくはここへ通っていた。
当時「立飛」駅を降りると周囲にはほとんど何もなくて、
幅の広い道路がドバッと敷かれているばかりだった。
その道路をひたすら歩くと中古自動車屋が数件、広大な敷地に車を並べていた。
それからテニスコート。いつも大学生が歓声をあげながら練習していた。
後は住宅展示場と結婚式場・・それに宗教施設か・・があるばかり。
こうやって書くと色々あるように感じるけれど、あまりに贅沢?な空間で、
まだまだ広大な土地が余っているように感じられた。
この立飛だけれど、「飛」の文字が使われているだけあって飛行機に縁のある
場所で、帝国陸軍の航空部隊を顧客とする企業があり、この企業は軍用機を作って
いたそうだ。
東京にあって(都心からは離れているけれど)、この空間。
IKEAができて、次にららぽーとができた。
昭和記念公園も戦後アメリカに没収された場所が開かれて出来たようだし、
ほど近い立飛もそんな兼ね合いがあって、手付かずな空間が多いのだろう。

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写真部に入部したことがきっかけで、現在これを生業にしている。
今38歳だから、かれこれ20年だ。
当初は半ば帰宅部のつもりでいたのだけれど、良い先輩がいて、
結局は写真にのめり込んだのだ。
ただ、その先輩は3年生だったから翌年には卒業してしまい、
さらにその翌年に女子が2人(彼女たちは完全に帰宅部だったが)
入部してくるまで、写真部員はぼくただ一人だった。

先輩に教わったことの一つがフィルムの現像方法で、もう一つが暗室作業だった。
フィルムの現像にはダークバックを使う、これは手元から腕までを覆う黒い袋で
中は完全に遮光されて真っ暗だ。この袋の中でフィルムをリールに巻き、そのリール
をタンクに入れて蓋をする。このタンクの中も真っ暗で、現像が終わりフィルムに
映像が定着するまでこの蓋は閉じたままだ。
暗室とはその名の通り暗い部屋だ。この部屋も遮光されている。
ただ、白黒写真をプリントする作業においては赤いランプが灯される。
暗いランプだけれど目が慣れればかなりはっきりものが見える。
これは暗室作業用のランプだから、白黒写真の印画紙に影響はない。

これがカラー写真の作業だと、真っ暗な中で作業するんだとか。
(ブルーの暗いランプを目安にするって聞いたこともある)
ぼくはフィルムでのカラー現像について学ばなかったから、よく知らない。
今はPCで作業できるので、助かる。PCは「明るい暗室」などと呼ばれている。

その赤いランプのみ灯された暗室でぼくは宇宙人に出会ってしまった。
・・この続きは、またにします。

2016年6月6日月曜日

2016/06/06 心霊写真



写真は潮干狩りの風景。神奈川県の「海の公園」だ。
みんな下を向いて黙々と貝取りをしていて、面白かった。

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ぼくが写真部で写真の基礎を身につけたのは高校生の頃だ。
その頃先輩に勧められて、カメラ専門雑誌から色々と学んだ。
夜景を撮る方法はいくつかあるけれど、「長時間露光」もその一つだ。
その雑誌からでも学んだのだろう。ある晩、急に夜景を撮ろうと思い立った。
ただし、それはどんな風に撮れるか試してみたいって程度のことだったが。
ぼくはその晩カメラを抱え、そして・・・
なぜか母の運転する車で夜景を撮りに出たのだった。

写真のテクニックである「長時間露光」は色々ないたずらをする。
夜が昼間のように写ったり、車のテールランプが軌跡を描いたり、
その場の加減で写真全体の色が偏ったり、と。
ぼくがその晩撮った写真では、その日に黒い服を着込んでいた母が
体は写らずに顔だけが浮いて写っていた。まるで心霊写真だ。

面白くてクラスメイトに見せたらテレビの「お祓いコーナー」に
応募しようって話になった。
一人の女子に「これ本物なんだよね」って聞かれて、
いい加減に「本物だ」って言ってしまったんだよな。

その写真が大きく引き伸ばされてテレビに登場したのは、
それから一月後くらいだったか。
いい加減な坊さんが「これは本物だ」と言い、
フィルムを焼いたものを塩で清めなければならないと宣ったのだった。
母は少女の霊だと言われて喜んでいた。
ぼくは複雑な気持ちになった。
それから20年が経つけれど、そのフィルムはまだ手元にある。

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次回。宇宙人登場です。