写真は今から8年ほど前に住んでいたアパートの屋上から撮ったもの。
このアパートは新宿にあり、ぼくは4年間ここに住んでいたのだけれど、
その内の2年間は写真スタジオで働きながら過ごし、残りの2年間を
今で言う所のニートに近い状況で過ごした。
ぼくはこのアパートの最上階・・と言っても3階建てなのだが・・に部屋を
借りていたのだけれど、ある日、大家さんが訪ねてきて屋上に出るための鍵を
渡してくれた。憧れの屋上。決して広くはないけれど、夏場は夜にシャワーを
浴びた後、汗がひくまで風に当たったりしていた。
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さて、前回の続きです。
近所にある食品加工工場の駐車場に置かれていた、見慣れない機械。
その機械にあるハンドルを回したらサイレンが鳴り響いた。
それは想像の中の空襲警報そのものだった。
驚いてハンドルから手を離したけれど、勢いがついていて直ぐには止まらず
しばらくの間、サイレンは続いた。
怒られる。
そう思い、じっとしていたのだけれど、誰も気がつかなかったのか、
咎められることは無かった。
ほっとして見上げた空は真っ青な夏空だった。
今思えば、うちの実家の近所には防空壕もあるし、この警報機も第二次世界大戦の
名残だったのだろう。終戦が1945年。ぼくは1977年生まれだから、戦後32年。
正確には覚えていないけれど、この警報機のハンドルを回したのが10歳ならば、
戦後42年目くらいの事か。
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もう1つ、夏の記憶がある。
当時ぼくは12歳でバスケ部に所属していた。
中学1年、夏休みのことだ。
ぼくは夏休みがそれほど好きじゃなかった。
勉強こそ好きじゃないし苦手だったけれど、
学校に行けば友達もいるし可愛いクラスメイトの女子にも会えるから、
長い休日よりも学校があった方が良かった。
その日は朝早くに目が覚めてしまい、朝食の準備もまだで、
家にいるのも退屈だったから、自転車の前かごにバスケットボールを入れて
小学校へ向かった。
朝の6時半くらいだったか。
自転車を漕いで学校までの5分ほど、誰ともすれ違うことがなかった。
とても静かな朝だった。
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続きはまた。
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