2020年6月28日日曜日

2020/06/28 オリジナル宗教

以前に良く、ダムの夜景を撮りに行ってました。
もちろん写真を撮るのが1番の目的でしたが、夜に広大なダムの周りを歩いて探検気分が味わえるのも嬉しかったのです。お気に入りのダムまでは片道90分ほどで、山中のことラジオが入らず、いつも色々な音楽をかけながらのドライブでした。本当に様々なCDをかけていたはずなのに今となってはほとんど覚えておらず、ただ「やの雪」のテルミンだけは聴いているうちに次第に怖くなり、べつの音楽に変えたことをしっかり覚えているです。

最近、夜の風景を撮っていると、デジカメって本当に便利だなと思います。それこそダムの写真を撮っていた頃はフィルムカメラを使っていたので、撮って帰って現像して、そのフィルムから写真をプリントして、それでようやく完成形を確認できたので、シャッターを切ってから仕上がりを見るまでに相当の手間と時間が必要でした。それがデジタルになってからは、撮った直後に仕上がりを想定できるのだから、本当に便利で、嬉しいのです。

フィルム現像は手間。フィルムは保存に場所をとる。フィルムはプリント(写真に)するのも大変。デジタルカメラが生まれた今、フィルムは短所ばかりに思える。そして実際フィルムのほうが良かったことを考えてみてもそれがほとんど思いつかないのです。

でも思い返してみると、以前結婚式場で写真を撮っていたとき、「デジタルデータは一瞬にして消えてしまうから怖い」と聞きました。確かに、それはありますね。ぼくは撮った写真データをパソコンに残していますが、もしハードディスクが壊れてしまったら、確かにそれまでだから、バックアップが大切です。

それからそれからコピーの問題がありますね。これはまず一番に思い出すべき問題でした。これは写真家のみならず、画家、音楽家、漫画家、作家とあらゆる創作活動をしている人にとっての問題でしょう。デジタル作品はオリジナルを完全にコピーできるのだから。

音楽ならリスニング環境で、写真や絵ならモニター環境で、映画なら視聴環境で、画質や音質は変わるけれど、それだって、もしかしたら受け手側に、作り手のものより良い環境が揃えられているかもしれない。となるとオリジナルの価値はどこに求められるのでしょう。

オリジナルの価値が高い作品は、作り手がデジタル配信する際に「その価値を下げる」という方法はあります。音楽なら音質を劣化させたり、実際の曲より短くするなり。絵や写真なら画質を下げることができる。そして、その作品の完全版を受け手側が求めたとき、そこでビジネスになる。

それでもデジタルはコピーできる。もし完全版を手に入れた受け手が、それをコピーしたら、完全版がもう1つできてしまう。それも簡単に。となるとオリジナルの価値はコンサートや展覧会といった、パソコンから離れたところで生まれるのだろう。

それぞれの場で、そこの空気を吸い、皮膚で感じ、実際に見る。それで何かを感じ、これまで以上にその人物や作品が好きになるのなら、それは最早、宗教に近い。

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