2017年12月31日日曜日

2017/12/31 秘密基地 その9



写真は福生のとある学校の運動会練習風景

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


秘密基地 その9

自分たちで作ることをやめて、出来合いの場所を秘密基地に
することにしたぼくたちだったけれど、防空壕は使えず、
次に見つけたのが道路の“排水溝”だった。
排水溝と言ってもぼくらが基地にしたのはコンクリートの蓋がのった、あの幅の狭い“水路の部分”では無くて、
格子状の鉄蓋のかかった“貯水部分”で、
それは開通前の道路脇にあって、まだ使われていなかった。

指をかけて力を込めると、その格子状の鉄蓋は思いがけず
簡単に引き上がり、ぼくらは中へ降りた。
水路に比べれば広いけれど、4人も入れば貯水部分も
窮屈で息苦しい。ただし風が入らず暖かかった。
ぼくらはそこへバスマットを持ち込んで敷き、
他にも自転車の空気入れや、工事現場で拾った金具、
壊れたテレビ、色水を入れた水鉄砲、などなど
ガラクタを持ち込んだ。
準備が終わりバスマットに座り込む。
思いがけず良い基地だった。
それからぼくらはこの秘密基地を足がかりにこれから
どんな冒険ができるかを話し合い、この日は解散した。

翌日も秘密基地へ。
でもどんなに話し合っても冒険の良いアイディアは
出てこない。
排水溝の狭い貯水エリアの中にいて、することがない。
サイコロのようなほぼ正方形の場所にぼくら4人は潜り
込んでいた。ここに貯水エリアの2周り以上も小さな
排水溝の口が前後に開けている。
その口を背にして2人、それから穴のないコンクリート
の壁をしにして2人が敷いたバスマットの上に座っていた。
一度ならず、その排水溝の穴をたどってみようか、と
ぼくらは話し合った。でもその穴の行き着く先はわかって
いる。そんなものは冒険と言えないだろう。
それからまた、ぼくらは何度も自分たちの真上・・
格子状の鉄蓋・・から除く青空を見上げた。
外は明るい。
ここは暗い。
不意にカツカツと響く足音が近づいてきて、ドキリとする。
どうやらそれがヒールを履いた女性の足音らしいとわかり、
ぼくらはにわかに色めきだった。
「おい。ここならパンツ丸見えじゃないか」
でもその女性はぼくらの潜む貯水エリアに影だけ落として
歩み去った。残念、と思う間も無く次なる足音が響いた、
がそれは作業服の男だった。
その男は鉄蓋の真上に立ち、まだ上を見上げていたぼくらは
顔に靴底の砂を浴びせられた。

また翌日、秘密基地の鉄蓋を開いてぼくらは驚いた。
敷いたバスマットが斜めになっている。
でもその原因はすぐに分かった。
犯人は昨晩の雨だ。
排水溝が本来の目的を果たしたらしい。
雨水の流れで、ぼくたちのガラクタ類も押し流されて
しまったのだ。

バスマットの位置を戻して座るとお尻が濡れてしまった。
足元もまだ濡れている。
濡れたお尻の不快感を我慢しながら、残されたものと、
流されたものを確認する。
押し流すには少々重たかったのだろう、
見ると排水溝の口のところにガラクタの一つ、工事現場で
拾った金具が転がっている。
見当たらないのは水鉄砲と自転車の空気入れだ。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

続きはまたです。

2017年10月3日火曜日

2017/10/03 カメラの修理 Macの修理 



写真は京王プラザホテル新宿。
この近くにキャノンのサービスセンターがあり、
先日カメラの受け取りに行った。
カメラのシャッターユニットを交換したのだ。
修繕費用はおよそ5万円。
機種にもよるけれど、ぼくが使っているカメラの
シャッター耐久回数は15万回なので、
仮に毎週1000回シャッターを切るとすると、、、
ひと月に3000回、、、だから、、、
年に3万6千、、、15万を3万6千で割って、、、
4年ほどでシャッター交換が必要になる。
でもぼくの場合、ほぼ毎年シャッター交換をしている。
と、すると15万割ることの12ヶ月で、ひと月に12500回シャッターを切っている計算になる。
これを4で割ると毎週3125回シャッターを
切っていることになる。
あれ、間違ってるかな?
毎日写真をとっているわけでもないのにとても大きな数字だ。
これは自動車のエンジンオイル交換と同じように維持費だ。
この15万回と言う数字がどれほど正確なのかわからないけれど、
フォトグラファー仲間が「交換しないで使っていたらピントが合わなくなった」、とのことだったので、
直せるものならできるだけ自分で直したいけれど、
仕事でカメラを使ってる以上はこの出費も仕方ないか。

どうしたって物は壊れる。
そうした故障をどうしても自力で直したい時がある。
それは、修理が高くつく時だ。
うちでは少し前にミニコンポが壊れた。
CDを読み込めなくなった。これは中のレンズを磨いてもダメで、
気に入っていたから修理も考えたのだけれど、同じものの中古品が安くで売られていたので結局は買い換えた。
PCが壊れるのは恐怖だ。
これまでに2回、PCのスイッチが壊れた。
この時は修理に出した。費用もかかるし、PCが無いと仕事も止まる。
(確かMacの依頼修理は一律5万かかる)
それからPCではスイッチが入っているのに画面がつかない時があった。
(PCが立ち上がらないのだ)
その時はスイッチの上にある電源ライトが激しく点滅していて、
その症状をノートPCで検索してみると、
「PC内のメモリ故障が原因」とわかった。
早速、8コ入っているメモリを1コずつ外しながら調べてみたら、
壊れているメモリがわかり、それを新しく取り寄せたメモリと付け替えたら直った。
それからやはりPCでCD/DVDドライブの故障。
これは機械本体の故障ではなくて、
PCからDVDドライブのトレーを出す、すると、戻るボタンを押しても、
ヴーィッと異音がするばかりでトレーが戻らなくなってしまうのだ。
当初これはDVDドライブの故障だと思い、検索すると
もう生産中止だった。現行品では外付けモデルがあるものの、
うちのはせっかくの内蔵型。
中にあるべき装置を外に置くのも無粋だと思い、しばし悩んだ。
CD/DVDドライブのトレーは出てくる。なのに戻らない。
どう言うことなのか、、5万の出費はでかい。

イジェクトボタンを押してトレーを出す。
・・出てくる・・。
が、改めてイジェクトボタンを押しても・・
何か詰まったような音がして、戻らない。
そこで戻らないトレーをちょっと指で押すと、
トレーは少し抵抗しながらも戻って行く。
これを繰り返せば滑りが良くなって直るんじゃないか、
と思い、この指で押し戻す作業を繰り返してみたの
だけれど、これでは直らなかった。
そこで一大決心・・ぼく的に・・をして、
CD/DVDドライブをPCから取り出すことにした。
(ま、仮にCD/DVDドライブを買い換えていたら、
この作業は必要だものね)
でもこの作業、ぼくの使っているMacの場合は蓋を
開けて引き出すだけですむ。ドライバーはいらない。
で、引き出し、まだコードの繋がっている状態で、
イジェクトボタンを押す。トレーが出る。
またイジェクトボタンを押す。と、トレーが戻る!?
もう一回試してみても、やはり戻る。
それがCD/DVDドライブをPC本体に取り付けると、
トレーが引っ込まなくなる。
どう言うことなのか。何がいけないのか。
しばし・・5分ほど・・悩む。
壊れていないのに、調子が悪い。
何かが引っかかっているのだ。
と、閃いた。
トレー排出時の音が鈍いのだ。
CD/DVDドライブを裏返してイジェクトボタンを押すと、
白い歯車がトレーを排出させているのがわかる。
綿棒とミンクオイルを持ってくると、ぼくはPCの
前にしゃがんでそのCD/DVDドライブ裏側の白い
歯車にミンクオイルを塗り込んだ。

それ以来ぼくは何かとこのミンクオイルを使っている。
腕時計ではバンドのはめ込み部分(カチッと止める)。
プラスチック製LEDランタンのスイッチ回転部分。
油染みが気にならないものならば
潤滑剤として様々に使えるミンクオイル。
もともとは革ジャンや革靴に塗るため買ったの
だけれど、いろいろ使えてとても重宝。

その後CD/DVDドライブはまた同じような症状が
現れて、またミンクオイルを塗り込んだ(直った)
機械用のオイルをさせばもっと長持ちするのかも。

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「秘密基地 その9」は次回にします。 

2017年9月12日火曜日

2017/09/11 秘密基地 その8




写真は正午。昼飯を食べに行く男たち。この夏に撮ったもの。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

そうそうヒアリのニュースに触れて思い出したことがある。
それは大学生の時のこと、ぼくは川沿いのサイクリングロードを自転車で走っていた。
夕方。いつも通り道は空いていて、相当なスピードを出していた。
ところで、高校生の頃には自転車は現実逃避するための道具だった。
(↑大学受験を含め、色んなことからの逃避)
自転車に乗るとアドレナリンとエンドルフィンが溢れ出てどこまでも走れる気がした。
そんな時には周りの景色が自分の意識から切り離された現実離れしたものに感じられて
目に飛び込んでくる。そんな感覚を写真にできたら、と当時は思った。
それがいざ大学に入り膨大な自由時間が手に入った途端に自転車に乗っても高校生の頃の
酩酊感が味わえなくなった。現実逃避の必要が薄れたからだろうか?
ぼくは度々そのサイクリングロードへ行っては無闇に走った。
でもどうしてもその瞬間は来なかった。

その日も酩酊状態を味わえずに悔しい思いをしながらの帰りだった。
チクショー!と思いながら立ち漕ぎしていた、その時、バチッと頰に何かがぶつかった。
かなりの衝撃で驚いた。
立ち漕ぎのまま振り返るとそこにはスズメバチがいた。
スズメバチはそこでホバリングしているようで、まるでそこに浮かんでいるようだった。
蜂は体の向きをこちらに向けていて、お尻をクイッと上に持ち上げている。
ぼくは振り返ったままそれをじっと見ていた。
自転車は走り続けていた。
と、そのお尻の針からピューっと毒が吹き出したのだ。
その全てがスローに感じられた。
ぼくはスズメバチの大きさと攻撃する素早さに驚いた。
そしてもしかしたら追いかけてくるんじゃないかと思い、夢中でペダルを漕いだ。

※こんなことがあってからもう20年が経った。もしかしたら毒を飛ばされたのは
ぼくの記憶違いかもしれないと思い検索してみたら、やはり出てきた。
スズメバチはクマなどの敵に対する目潰しに毒を飛ばすそう。
悪いと失明してしまうとか。とても恐ろしい。

さて、改めてなぜ大学生になった当時のぼくが自転車に乗っても酩酊感を味わえなく
なってしまったのかを考えると、それはそもそもの周囲の景色の違いがあったのでは
ないかと思いついた。
高校生の頃に走り回っていた街は家々があり、その家を囲う塀があり、コンビニや
雑居ビルや学校があった。
それが大学の周辺は山に囲われていて、周りにあるものと言えば田んぼ、畑、川、
それから寺に古墳くらい。
サイクリングロードを走っていてもたまに出会うのは農家のお年寄りくらい。
そして遠くをローカル線がのんびり走って行く。そんなあまりにも健全な風景ばかり。
こんな景色の中にあっては視線は常に前を向いて、自分の居場所ははっきりする。
それが街中では視線が泳ぐ。ぐるぐる走り続けていると迷子になる。
教科書から顔を背けた高校生のぼくは迷子に憧れていたのかもしれない。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

秘密基地 その8

防空壕の中は真っ暗だった。
懐中電灯でその中を照らして見ると壁にも足元にもカマドウマがびっしり張り付いていた。
それが気持ち悪く、結局、自分たちの基地にすることを断念した。
しかも通りがかったおばさんには「土に溺れるのは水に溺れるよりも苦しいのよ」と
叱られたのだった。
でも何よりもショックだったのは防空壕の広さだった。
当時のぼくらではその防空壕に匹敵する・・たとえその半分以下でも・・基地を作る
のは不可能に思えたのだ。
それでぼくらは自力での秘密基地作りは諦めてしまった。
その代わりに大人の作った場所で基地になる場所を探し回って見つけたのが
道路の側溝・・排水溝・・だった。
その頃、ちょうど近所で大きな国道を作り始めていて、この道路の交差点にある側溝に
大ぶりな格子状の鉄網がかかっていた。
見下ろして中を覗く。
そこは四角く、コンクリート製で、秘密基地にぴったりに思えた。
鉄網に指をかけて引っ張る。
扉は開いた。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

続きはまた。

2017年8月19日土曜日

2017/08/19 秘密基地 その7




秘密基地 その7

「凄い基地がある」と聞いて来てみたら、それは防空壕だった。
中は真っ暗。懐中電灯を点けると足元から壁までびっしりとカマドウマ?
が張り付いていた。足元でサクサク音を立てていたのは枯葉ではなくその虫だったのだ。
ショックだった。それでもぼくらはその防空壕の入り口から離れなかった。
それはもちろん防空壕の凄さもあったけれど、それよりもいつも遊んでいる
メンバー(ぼくら3人)以外の仲間がいることの特別な感じがあったからだ。
解散するのがもったいなくて、みんなで防空壕の周辺を見て回った。
すると林の中(防空壕の上部に当たる)に、子供がやっと通れるくらいの狭い穴を
見つけた。すっかり藪で覆われていたけれどその穴は防空壕につながっていた。
これはいざという時のための脱出口だったのだろう。
「これでカマドウマさえいなければ素敵な秘密基地になるのに」などと言って
騒いでいたら、そこに自転車で通りがかった1人のおばさんが、
「こんなところで遊んじゃいけない。もしも崩れたら大変。土に溺れるのは
水で溺れるより何倍も苦しいのよ」とお説教を始めた。
カマドウマに恐れをなしてもう防空壕に入るつもりじゃなかったので、
本当ならば「ここで遊ぶな」と言われても、じゃあ別の場所で遊ぶからいいや、
ってなものだ。だけどぼくら3人は自分たちの秘密基地を壊された直後だったのも
あってそのおばさんの言葉にムッとした。それでぼくは、
「なんで水に溺れるより苦しいなんてわかるの?土で溺れたことなんてないでしょう?」
と、反論してした。
するとおばさんは目を釣り上げ、
「あなたのお母さん知っているわ。言い付けるから」と叫び、
「あなたたちがここから離れるまでここから離れない」と言って、
防空壕の前に立ちふさがった。
おばさんの剣幕におされ、その場を離れた。
そして結局、次の基地を探すことになった。


防空壕に洗礼を受けて、ぼくらの秘密基地作りは終わった。
防空壕レベルの基地を自力で作るのは大変な事なのだ。
ましてや基地作りのきっかけになったテレビドラマ、
「おもいっきり探偵団 覇悪怒組」に出てくるようなものとなるともう、
どこから手をつければいいのかさえわからない。
ぼくらはただの竪穴(3人が座れる程度の)を掘る事すら断念したのに、
覇悪怒組に出てきた秘密基地はコンクリート製で、梯子を使って地下に降り、
居心地良さそうで、しかも潜望鏡まであるのだ。
秘密基地作りは努力に見合わない、、。早くもそんな結論に達してしまった。
水道(トイレ・風呂)・電気・エアコン完備の「家」は居心地が良すぎるのだ。
その心地いい「家」を上回る秘密基地を作るのは不可能に思えた。
そんなこんなで残念な事に?
次なるぼくらの基地はまたも大人が作ったものになってしまった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


今回の写真はずいぶん前に撮ったもの。印象的な黒い雲だった。

続きはまた。

2017年8月13日日曜日

2017/08/14 夏休みと、ヒアリと、



写真は千葉県で撮ったもの。風力発電の風車。

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ヒアリのニュースが絶えない。

検索してみると蟻の種類はとても多く、現在およそ1万2千種類が見つかっていて、
日本では280種類が確認されているとか。

8月も半ば、夏休みだ。
ぼくは小学校3年生の夏休みほぼ一ヶ月を従兄弟の住む長野で過ごした。
従兄弟の父は蝶の採取を趣味にしていて、その夏休みぼくはその叔父とともに
虫取り網を持って何回か蝶の採取に行った。
一つ年下の従兄弟はあまり昆虫や蝶を捕まえるのを面白がらず、
ぼくの方が面白がっていたのもあって、その日は叔父とぼくと二人で蝶を探しに行った。
車でどのくらい走ったのか定かではないけれど、ある山の麓で車を止めると、
その山に叔父とぼくは分け入った。
普段人が入ることなどほとんどないのだろう、山は鬱蒼としている。
木々がぼくの視界を頻繁に遮る。
多分叔父はぼくの歩く速度に合わせてくれていたのだと思う。
それがしばらく山を登っていくと、どうやら目当ての蝶を見つけたらしく、
「自分が戻るまでここを動かないように。それからその辺の石は踏まないように」と
言い置句と、叔父は驚くほどの速さで山を登り始めた。
ぼくはしばらく叔父の背中を追っていたけれど、それはすぐに見えなくなった。
叔父の立てるガサガサ言う音が聞こえなくなってから、多分1分ほどは静かにしていた。
山の中にぽつんとしていて、ぼくはすぐにつまらなくなった。
そこには見渡す限り、木と隙間から見える曇り空と足元の地面しかない。
それを交互に見ながらここに素敵な蝶が現れないか、と考えたけれど現れず、
次に叔父を追いかけようか、と思ったけれど叔父がどこら辺りにいるのかもう
分からない。嫌になって下山するにもいくら乗り出しても道路が見えず、
ここには山道もなく迷子になるのが怖くて動くに動けなかった。
叔父が迎えに来るまで待つしかない。とにかく待とう。
そういうことになった。
ぼくはまた木と空と地面を交互に見ながら叔父を待つ。
どのくらい待ったのか、分からない。
あまりの退屈さにジリジリしていると、「石を踏まないように」と言った叔父の
言葉が思い出された。
なぜ石を踏んではならないのか?
ぼくは足元にあった大きめの石ころをちょん、と蹴ってみる。
それからその様子を叔父に見咎められないかと周囲を見回す。
が、何も起きない。
またただただ待ち続ける。
木を見て空を見て地面を見る。
と、足にアリがたかっている。
手で払う。
もう一匹アリがいる。
手で払う。
アリがどんどんぼくの足を這い上がってくる。
驚いて、数歩後ろに下がる。が、そのはずみで他の石を踏む。
と、その石の下からたくさんのアリがわらわらと現れてぼくの足をよじ登る。
少し怖くなって、抱えていた虫除けスプレーを足にかける。
それに驚いたのか、ありがぼくの足を噛む。
払いのけてもスプレーをかけてもアリは次々現れる。
そうしてしばらくアリと格闘していたら、叔父が戻ってきた。
追いかけて行った蝶を捕まえたのか逃げられたのかを聞かなかったけれど、
ぼくの足元を見るなり、石、踏んだのか。ここらの石の下はアリの巣だから、
踏むと怒って襲ってくるんだ。まぁ噛みつかれてもたいして痛くはないけどね」と
言い。それからぼくを連れて下山したのだった。
それ以来、ぼくはアリを見るとたまにその時のことを思い出す。
でもそれ以来、ぼくはそんなアリとは出会っていない。
でもきっと、それはそれほど珍しいアリではないのだろう、と思う。
ヒアリのニュースから、またその夏のことを思い出したのだった。
アリは1億年以上前にスズメバチの祖先から別れて進化したと考えられているそう。
通りでアリにも毒や羽があるわけです。
また今度スズメバチの思い出?も書きたいと思います。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

思ったより長くアリについて書いてしまったので、
「秘密基地 その7」は次回です。

2017年7月29日土曜日

2017/07/29 秘密基地 その6



写真は夜のトンネル。
13年ほど前、毎週末のように夜景を撮りに秩父へ行っていた。
当時(25〜27歳くらい)ぼくは自分の好きな時に好きなものを撮って、それだけで
身を立てていきたい(と言うか、単純に好きなことだけをして)
と、思っていた。

22歳で学校を出てから親元へ戻り、1年ほどは今で言うニートだった。
(ニートって15歳〜34歳までを指すって知ってました?)
ニートでいる間、何をどうすべきかわからず、何のアイディアも無く、
時の流れに身を任せたり抗ったりを延々繰り返していた。

学生(学校は関西だった)の時は誰かしら共に過ごせる友達がいたのが、
親元に帰省してからは1人だった。
両親や祖父や妹はいたのだけれど、中学・高校の友達とは疎遠になっていたし、
付き合っている彼女もなく、遊びまわる知恵もお金も無く、中途半端な若さと、
有り余った時間だけがあるのだった。

「定職につけ」とは言われなかった。
それはもしかしたら中学の時に進学を嫌がったぼくに「大学まで行きなさい。
その代わり、進学後はうるさく言わないから」を実践していたのかもしれないけれど、
たぶん実際はイライラし通しの息子をただ持て余していたのだろう。

ぼくは勉強ができなかったので、進学は苦痛だった。
小学校でギリギリ。中学校になるとどの教科もさっぱりで、
教科書の内容はまるで暗号だった。

そんなだから中卒で何か仕事に就いたほうが自分には良いと思っていたのだけれど、
母はそれを許さなかった。

だから、そんな風にして無理やりにでも進む大学ってのはもの凄い場所なんだろう
と思っていた。

ぼくが入ったのは芸大の写真科だったのだけれど、進学が決まった時には、もうこれで素敵な未来が約束されたと思った。

でもそれは大きな思い違いだった。

そして卒業後、有り余る時間と対峙した。
ベッドの中で縮こまっていると、無為に過ごした(と感じてならない)大学4年間が
ぼくを攻め立てた。

学生の頃とほとんど変わらず夜型の生活を続けていたぼくは、
昼頃になんとか目を覚まして、昼飯を兼ねた遅い朝食を食べ、
それからまたベッドに潜り込むと文庫本を読みつつ、うとうとする。
そんなことを何日も繰り返していた。

そんな繰り返しに耐えきれなくなったある夜、ドライブへ出た。

夜は優しい。

ぼくは思うままに走った。
向かったのは繁華街ではなく、飯能のさらに先にある秩父だった。
そうして行き着いた夜の秩父、とりわけ夜のダムは最高の舞台装置に思えた。
だからそれ以来、何度も何度もそこを尋ねた。
写真はそんなある夜に写したもの。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

「秘密基地 その6」

小学校の4年生。10歳の頃。ぼくは幼馴染と3人で近所の林の中に秘密基地を作った。
それは倒れて傾いた木にブルーシートをかぶせた簡単なものだった。
ある日、行くと、その基地は近所のおばさんの手によって壊されていた。
行き場の無くなったぼくらが自転車でウロウロしていると、
やはり自転車でウロウロしているクラスメイトと遭遇した。
彼らに「秘密基地が壊されてしまった」と話をした。
すると「すごい基地がある」と案内された。
それは壊されてしまった秘密基地と同じ林にあった。
ただそれは林の内側ではなくて、道路に面して土の盛り上がった林の側面にあった。
その入り口は垂れ下がった木の根や雑草に半ば埋もれるように覆われて、
まるで隠されているようだった。
それは防空壕だった。

「防空壕」の入り口は狭く、ぼくらは恐る恐る一人ずつ中に入った。
とても暗くて中の様子はわからない。ただ、意外なほど広いようだ。
少し先へ進むと足元に枯れ葉が落ちていてそれがサクサク音を立てる。
ただし、暗くてその葉っぱは見えない。
息苦しい。
すぐに外へ出ると、外の明るさに驚いた。
すぐに懐中電灯を取りに行き、またその防空壕へ集まった。

懐中電灯の明かりを点けて中へ入る。
それは四角い部屋だった。
広い。
ショックだ。
ぼくら3人が地下基地を夢見て散々ショベルを使っても、自分の背丈ほどの穴も
掘れなかったのに、ここは子供6〜7人が入ってもまだ余裕がある。
そして穴はもう少し先まで続いている。
土の壁は艶やかで滑らかだ。ここには木の根も飛び出していない。
とその滑らかな土壁が、ある地点から急に凸凹としている。
懐中電灯で照らしながら近づいて見てみる、、とそれは大量のコオロギ?
カマドウマ?良くはわからないがそれはそういった類の虫たちだった。
それが土壁のある地点から奥へ向かって密集して張り付いている。
そして気がついてみると、足元も一面その虫だらけだった。
靴に踏まれてサクサク音を立てていたのは落ち葉でなく、それだった。
ショックだ。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

続きはまた。

2017年5月16日火曜日

2017/05/16 秘密基地 その5




写真は千葉県、銚子の海です。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

ひどい買い物をしてしまった経験は誰でもあるだろう。
上げればキリがないほどぼくにはあるけれど、今回はその中から1つお話ししたいと思う。
それは高校3年生の終わりに買ってしまった 「マクラ」だ。
これはテレビ・ショッピングで買った。
多分テレビ・ショッピングで買い物をしたのはこれまでに2回)

ぼくは中学から大学を卒業する22歳まで良くテレビを見た。
中学高校の頃は受験勉強で徹夜のふりをしつつ、親が寝た頃を見計らっては
深夜のテレビを(これは主に、と言うか完全にすけべなものを)見ていた。
大学に入ってからは一人暮らしでこれはもう好きなだけ見た。
自分の理想とかけ離れた大学生活を送り、腐っていたぼくはテレビの中の幸せに
見える人々(楽しそうにクイズをしたり、ゲームをしたり、おしゃべりするのが
お仕事ってのがたまらない)に嫌悪感を抱いてはテレビの電源を切り、
それでも気がつけば電源を入れてじっと画面に見入る
といったことを日々繰り返していた。

その頃の友人の1人が「ぼくはテレビは持たない。テレビは怖から。だからラジオが
友達だ」などと言っていたのだけれど・・・スマートフォンはもちろん、
パソコンもまだ学生の間には普及していない頃だ・・・ぼくは彼の考え方に対して、
何をジジ臭いこと言っているんだ!ラジオなんて時代遅れで可笑しいよ!
と、思ってバカにしていた。

それが大学を卒業して一度親元に戻り(卒業後しばらく無職だった)、
仕事を始めて改めて1人暮らしを始めてからテレビを持たなくなった。
(気づいたら見てしまうからね)
そして今、相棒はラジオだ!ラジオ、もっと放送局があればいいのに、と思う。

話を戻して問題の「枕」。
その日ぼくは大学受験を終えて、晴れてテレビを見ていた。
それまで過酷な受験戦争に巻き込まれ、勉強勉強で徹夜の日々を送っていたので
毎日が睡眠不足でただでさえ冴えない頭に薄い膜まで張っていたぼくの前で
テレビ・ショッピングが始まった。
なんでその番組に引き込まれたのか、今となってはわからない。
その枕は確か外国の商品で、テレビの中で宣伝していたのも白人の男性だったか
女性だった気がする。
その商品は「仰向け寝でも横向け寝でも最高の枕」と宣伝されていた。

ぼくは、コレだ。と思った。
最高の眠り。
受験も終わり、
コレで最高の眠り&最高の日々が手に入る、と本気で思った。
なので「大学にも受かったし、この枕を買ってくれ」と母に懇願したのだった。
枕は英語でピロー。その枕は「コント・(X)ロー」って商品だった。

そしてピローが届いた。
その枕を使って、高校にして始めてぼくは肩こりってものを知った。
それは吐き気を伴うひどい肩こりだった。

最高の枕で最高の肩こり。

そんなはずはない。

信じたくなかった。でもこのピローで横になるだけで、もうダルいのだ。
届いて1週間ほどでこの枕はゴミになった。
それでも、以前の枕に戻しても、肩こりは治らない。
ぼくの大学生活は、肩こりとともにスタートした。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

この肩こりをどうやって克服したか。
それは、また次回にでも。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

さて、「秘密基地 その5」

小学校の4年生。10歳の頃。ぼくは幼馴染みの2人と3人で近所の林に秘密基地を作った。
傾いた木にブルーシートを被せて、その秘密基地はできた。
でも、いざ秘密基地ができてみると、その基地でできることはあまりなかった。
そこには冷蔵庫も、トイレもなくて、宿泊などできない。
ぼくらにできたのはただ基地の中にこもり、馬鹿話をするくらいだった。

だからその日、3人で集まった秘密基地が壊されていても、
ぼくはそれほど悲しくはなかった。
ただ、なんでこんな意地悪するんだろう、と思っただけだ。
基地を壊したのは近所のオバさんで、そのオバさんは前からぼくらが林へ入るのを
嫌がっていた人だった。

秘密基地が無くなり、隠れる場所を失ったぼくらは自転車で近所を走り回っていた。
そうしたら同じクラスの別の男子グループに会った。
「何してるの?」と話しかけてきたから、秘密基地が壊された話をした。
そうしたら、「すごい基地があるよ」と、打ち明けられた。
驚いてぼくは聞いた。「どこにあるの?」、
「この林の裏だよ!連れて行ってあげる」

それはぼくらの秘密基地と同じ林だった。
驚くべきものだった。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

続きは、また。