写真スタジオでのアシスタントを辞めてから半年ほどは、長い休みのようだった。大学生の頃から暇な時間と向かい合って過ごすことが多かったとはいえ、スタジオでの比較的忙しい日々を送った後でもあり、また毎月の家賃やらなんやら出費のこともあって不安が募るのだった。
心の支えは2人の友人だった。2人とも大学の同級生だ。
一人は地元が埼玉で、もう一人は関西から上京していた。
ぼくから見れば埼玉の彼は実家暮らしで仕事がなくても気ままに?生きているようであった。
もう一人の上京している彼はぼくと同じようにフォトグラファーの駆け出しで、やはり仕事を求めていた・・とは言っても、彼はぼくより先に写真で生計を立て始めていて、ぼくはいくつか仕事を紹介してもらうどころか、それは今も続いているのだけれど・・だから、関西の彼により支えられたと言いたいところだけれど、彼には若い彼女がいてそれが眩しすぎて彼女のいなかったぼくは何とも複雑な気持ちになったものだ。
写真スタジオを辞める半年ほど前からカメラのデジタル化が急速に進んだので、写真をやる上でPCでの作業が必要となった。ネット環境や、古いMacの改造など、アドバイスしてくれたのは埼玉の友人だった。彼もまた僕と同じように夜型で、夕方過ぎに当時ぼくの借りていた5畳半のアパートに来ては明け方までMacを分解していった。Macは1カ所直しては別の1カ所が壊れる、当時も今も、訳の分からない箱だった。埼玉の彼はそんな箱の魅力をさんざん語って、さんざんいじり回して修繕が終わると後は大概、学生の頃の思い出話をした。
今考えてみれば、関西の友人も当時相当に不安を抱えていたのだろう・・彼女がいるとはいえ。
撮影を終えた後うちにくる時は、いつもなんらかの酒をかかえてきて、ぐたぐたになっていた。
ぼくは、酒を飲まなくてもぐたぐたで、もう何をどうしたらいいか分からなかった。
カメラはある。レンズもフラッシュも、Macもある。でも当時、ぼくにはこの2人の友人のほか、ほとんど人との繋がりが無かった。本当、長い長い休暇で、2人が帰ってしまうと他にはなにもすることが見つからなかった。
そんな1人の時間を持て余していたある日、TSUTAYAで「BLUE」という映画を借りた。
始まりから終わりまでひたすら続く青い映像と、言葉。
狭いキッチンには少し大きすぎる四角いテーブルに、ポータブルのDVDプレーヤーを載せてぼくはその映画を見た。混じりけの無い青い世界がとても印象的だった。
それ以来、晴天の日には、この映画の青を思い出す。
でも東京の空って建物やら電線やらがあって、青空だけを写すのが難しい。
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